つづきです。
すみません。いろいろでてきちゃって…
離婚した時、わたしは28歳。無職。
28歳でフリーターになった。
結婚と同時に築40年エレベーターなし5階の中古マンションを購入。
結婚した時、夫はミュージシャンを目指していてアルバイトだった。なのでローンが組めず
わたしがローンを組むことになった。
離婚と同時に家とローンが残った。
働かなければ食べていけなかったので
あの時の土佐清水の⚪︎⚪︎病院のステロイド薬は必要だったのだと思う…
離婚後もひとりで4年間くらい住んだ。
可愛くカントリー調にリフォームしたばかりで…手放したくなかった。
リフォームにわたしの全財産使ってしまったし……
それと、世間体を気にしたのかな。
幼稚園教諭だったし、
子ども達の手本となるべき先生だった人が
離婚って…………
もう何もかも嫌になった。
過去とサヨナラしなきゃって思った。
それで、
家を売りに出すことに。
住みながらの売却はなかなか進まず、
仲介不動産から
空き家にした方が売りやすい。と言われ、
家が売れるまでという約束で、92歳の独居の母方の祖母の家に住まわせてもらった。
この引越しの時に、土佐清水の塗り薬を捨てた。
塗り薬だけでなく
ありとあらゆるものを捨てた。
教職時代の卒園アルバムも
今までの写真も全部。
子どもができて思う。
親が撮ってくれた幼少時代の写真を全て捨ててしまったことは後悔と反省。
あの時は、もう
自分が嫌で仕方なかったのだと思う。
ほとんど身一つで祖母の家へ越した。
祖母の介護生活がはじまった。
はじめは体調も良かったし、楽しかった。
次第に…みるみる体調が悪化しだして
アトピーが酷くなってしまって、
祖母の介護をするのが辛くなった。
わたしはアトピー悪化と介護疲れで
ヘルパーさんに任せて祖母の介護をしなくなった。
祖母は下の世話が必要だった。
朝は尿が漏れてビショビショに。
わたしはそんな祖母を見てみないフリをして会社へ出かけた。
それから2ヶ月後、祖母は亡くなった。
日曜日の朝だった。
最期はわたしが看取った。
こんなに早く亡くなってしまうとは思わなかった。最後まで介護ができなかったことが悔やまれた。
祖母が亡くなった家に、納骨が終わるまで
一人で住んだ。
祖母が亡くなってしまった家は
薄暗く怖かった。
だけど、祖母のお骨を残して、
祖母を残して去ることができず
せめてもの償いの気持ちだったのかもしれない。
住む所がなくなり
今度は発達障害の姉と二人で暮らすことになった。
姉はこだわりが強くて
協調性もなくて
姉との共同生活は本当に大変だった。
どちらかが殺すか殺されるか
時間の問題だと感じた。
ストレスでアトピーもひどくなるし
わたしはこの家を去った。
つづく
