横浜チャーチサイド ストーリーズ -3ページ目

横浜チャーチサイド ストーリーズ

横浜で見たこと、聞いたこと、考えたこと、、、など、など、

 

p14

自分を犠牲者だと思い込んではいませんか?

 

私たちの心の奥に醜い生き物が住みついています。

とても、厄介で、誰にもそう簡単に取り扱えるものではありません。

その生き物は、主人であるあなたに向かって、

「わたしはいつだってあなたの味方です。」と如何にも忠実そうに言うのです。

またその生き物は、「ご主人様、あなたは何時だって公平だけれど、あなたの周囲は

不公平でいっぱいです。」と告げるので、私たちは彼のその言葉を信じて自分を犠牲者だと

思い込み、自分を正当化してしまうのです。

その生き物の名は<エゴ>と言います。

 

 

p15

内に潜む敵

 

ゆるすということが、ありのままを受け入れることであるとは知りつつも、

どうしてできないのだろうか。

最大の障壁は、自分の外にではなく内に潜んでいる。

この敵に勝利しなければ人をゆるすことなど到底できないだろう。

その時に思い出すみことばがある。

「私はキリストとともに十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった

神の御子を信じる信仰によっているのです。」

(ガラテヤ人への手紙2章20節)とのパウロの告白です。

これこそが勝利の唯一の秘訣だと信じる。

 

 

と、

「ゆるすということ」-心に平安を得る秘訣-

の著者、大橋秀夫師は書いています。

 

大橋秀夫著「ゆるすということ」-心に平安を得る秘訣-

を手にしました。

たまたま、手にして、開いたにすぎなかったのですが、

その小著は、ビンビンと私の心を大きく波打たせたのです。

その波打ちは、序文から始まっていきました。

 

p8

 ところで、神によって罪赦された解放感に心躍るような日々があります。

ところがクリスチャン生活を続けているうちに、それが何時しか色あせてくるような

経験はないでしょうか。他人(ひと)のことが気にかかりだし、苛立ちや不安を感じる

ようになって、確信を持てないような日々が続くようになるのです。

もしかすると、そのような時に、あなたの心は誰かを赦せないでいるのです。

赦されていないという自分は、ゆるせないでいる自分と重なり合っていることに

気づかなければ、平安は訪れないと言えるのです。

 

 

p10

・・・この時すでにイエスのうちには、赦しということが最も強く意識されていたに

違いありません。ユダの裏切りも、弟子たちが蜘蛛の子を散らすように自分の前から

逃げ出すことも、ペテロが自分を裏切ることも、そのすべてを知りつつ「赦そう」ではなく

「赦す」という覚悟ができていたはずです。それゆえに、十字架という正視できないほど

残酷な処刑を前にしても、イエスのうちには平安があったのではないかということです。

 

 

 

 

 

 

神様は、あの手、この手で

人を育てられる。

 

些細な心の鼓動も、

聞き洩らすことなく、

嬉しいにつけ、

悲しいにつけ、

そこから人を育てなさる。

 

それが、神様のみ思い、

それが、神様のお慶び。

 

神様の育児方法、

その的確さに

驚く!!