大橋秀夫著「ゆるすということ」-心に平安を得る秘訣-
を手にしました。
たまたま、手にして、開いたにすぎなかったのですが、
その小著は、ビンビンと私の心を大きく波打たせたのです。
その波打ちは、序文から始まっていきました。
p8
ところで、神によって罪赦された解放感に心躍るような日々があります。
ところがクリスチャン生活を続けているうちに、それが何時しか色あせてくるような
経験はないでしょうか。他人(ひと)のことが気にかかりだし、苛立ちや不安を感じる
ようになって、確信を持てないような日々が続くようになるのです。
もしかすると、そのような時に、あなたの心は誰かを赦せないでいるのです。
赦されていないという自分は、ゆるせないでいる自分と重なり合っていることに
気づかなければ、平安は訪れないと言えるのです。
p10
・・・この時すでにイエスのうちには、赦しということが最も強く意識されていたに
違いありません。ユダの裏切りも、弟子たちが蜘蛛の子を散らすように自分の前から
逃げ出すことも、ペテロが自分を裏切ることも、そのすべてを知りつつ「赦そう」ではなく
「赦す」という覚悟ができていたはずです。それゆえに、十字架という正視できないほど
残酷な処刑を前にしても、イエスのうちには平安があったのではないかということです。