横浜チャーチサイド ストーリーズ -22ページ目

横浜チャーチサイド ストーリーズ

横浜で見たこと、聞いたこと、考えたこと、、、など、など、

 

あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。(マラキ4・2)

 

太陽が昇ると、

病人は病室を出て、

新鮮な空気を存分に吸おうと散策する。

 

太陽が春と夏を運んでくると、

家畜は小屋を出て、

アルプスの高原に牧草地を探す。

 

そのように、

私たちは主との意識できる交わりに入れられると、

落胆という名の牛舎をあとにし、

きよい確信の野原を歩きまわる。

 

さらに、

喜びの山に登り、

天国の近くにある

幸いな牧草地で草をはむ。

 

。。。。「主の約束は朝ごとに」 C・H・スポルジョン

 

 

 

 

小瓶に挿したした水仙も、

堅い小さなつぼみが開き始めると、

かすかな天の香を放つ。

 

聖霊の風が吹き始めるところでは、

石のように固まっていた心の扉が開きはじめ、

霊の呼吸がはじまり、

天の光が流れ込み、

やがて、主の牧場で草をはみ、

きよい確信の野原を跳ね回る。

 

 

カレンダーの日付が変わった。

2月。

私は、お正月を迎えるような気持ちで、

また、人生さいごの月を迎えるかのように、

2月の初日を迎えている。

 

2023年、、、

「いつの間にこんなに年数がたったのだろう??」

まるで、SF小説の中にいるかのように、

時代が早送りされたかのような、錯覚。。。

 

1961年、、10才、

1985年、、34才、

私の人生には、子どもと大人の境目が無い。

全てが「昔」で、

全てが「これが私の人生」の一括り。

 

 

 

 

 

 

丁度、私はくつやのマルチンのようです。

「マルチンあなたのところに行くよ」

と、ささやかれた神様のことばを信じて、

彼は、今日は神様がここに来てくださると、

期待に胸をはずませて、

主のお出でをまっている。

 

ところが、彼の目の前に現れたのは、

りんごを盗んだ少年であったり、

貧しいお母さんであったりする。

 

日が暮れて、

「とうとう、主はこられなかった」と、ため息をついていると、

声があった。

「マルチン、マルチン、私はそこへ行ったよ」

と、

 

彼の脳裏に、その日出会った人たちの顔が思い浮かばれ、

そうだ、そうだったんだ、と、

実は今日出会った人たちは、

姿を変た神様だったこと彼は気づく。

 

私の人生もまた、

そうなのかもしれない。

私はここで、

神様を待っているのだ。

 

一人一人との出会いの中に、

出来事の中に神様おられたことに気づき、

そうして、人生のさいごを迎えるのだろう。。。。

 

そして、

さいごの息を引き取る時にもまた、

これが私の人生であったことに気づくのだろう。