「豊かさ」がもたらす「自由」な社会の光と影 | 廣田信子のブログ

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マンションコミュニティ研究会、MSC㈱代表廣田信子より
日々のマンション生活やお仕事に、また人生にちょっとプラスになるストーリーをお届けしています。
一人ひとりが自分らしく活躍しながら、力を合わせることで豊かに暮らす、新しいコミュニティ型社会を目指して・・・

こんにちは! 廣田信子です。

 

昨日は、

これまで同じカテゴリーに属していた人たちの中で、

格差が拡大しているという話をしました。

 

では、その格差を生む根源には何があるのか…。

 

それは、急速に実現した「豊かさ」だというのです。

 

グレゴリー・クラーク「10万年の世界経済史」 によると、

 

驚くことに、人類の「豊かさ」は、

紀元前1000年から、紀元1800年までの間、

ほとんど変わっていなかったのです。

 

時間軸を50万年前のサピエンス誕生や

500万年前の最初の人類の登場の時代まで遡っても、

おそらく大した違いはないといいます。

 

旧石器時代の狩猟採集生活も、

中世の都市や農村の庶民の生活も、

ほとんど変わらないほど、

 

人類はカツカツで

何とか生きていたというのです。

 

では、紀元前1万年前後に起きた農業革命は

人類に何の変化ももたらさなかったのでしょうか。

 

そんなことはなく、農業は、

サピエンスの生存環境に劇的な変化をもたらしました。

それは「人口爆発」です。
 

諸説ありますが、10万年前の世界人口は

現人類(サピエンス)と

ユーラシアの旧人類(ネアンデルタール人など)を合わせて

50万人ほどしかいなかったとされています。

 

サピエンスがユーラシア大陸の全域に拡散した

1万2千年前(氷河期の終わりごろ)でも

その数は600万人程度だったといいます。


それが、農業と言う一大イノベーションによって、

食料生産量が急激に高まったことで、

 

紀元前1万年から西暦1年までの間に、

世界人口は100倍まで増加します。

 

これに伴って、

世界全体の富は大きく増えましたが、

 

その分だけ人口が増加しているため、

一人当たりの「豊かさ」は

ほとんど変わらなかったのです。
 

「豊かさの大爆発」を起こしたのは産業革命です。


人類は農業革命で人口と文化の大変化を、

産業革命でテクノロジーと豊かさの大変化を体験したのです。


また、

産業革命は、知識革命でもありました。

私たちが生きている現代とは

それまでの歴史世界とはまたく異なる世界なのです。


その急速な変化が、

世界大戦を引き起こす原因にもなったのですが、

 

第二次世界大戦後の欧米諸国は、

アメリカを中心とする自由貿易によって

空前の繁栄を実現します。

 

1960年代になるとごく普通の庶民まで、

数百年前からの人類の歴史の中で

大貴族ですら想像できなかったような

とてつもない豊かさを手にすることになりました。


こうして、

豊かさを背景に価値観の大きな転換が起こります。

 

「自分の人生を自分で自由に選択する」

という価値観への変換です。

 

今では、

そんなことは当たり前と思いますが、

 

中世や近世はもちろん、日本でも戦前まで、

人生を自由に選択するなどと言うことは

出来ませんでした。

 

戦前の日本では、長男は家を継ぎ、

女の子は、親の決めた相手と結婚するか、

家族のために奉公に出される…

まさに、「おしん」の世界が、当たり前だったのです。


ところが、1960年代になると、

こういった前期近代の価値観や生き方は

過去の歴史とみなされるようになり、

 

好きな職業を選び、好きな相手と結婚し、

自由に生きることが当たり前になったのです。
これはとてつもない変化なのです。

 

18世紀半ばの産業革命において

「豊かさ」の大変化が起き、

20世紀半ばで、「価値観」の大変化が起き、

 

人は新たな

アナザーワールドを生きるようになったのです。

 

「自由化」とは「リベラル化」のことであり、

とてつもない「豊かな」を背景に

若者たちは、

どんどん「自由=リベラル」になっていきました。
 

社会が豊かになって、

女性が高い教育を受けるようになると、

発言力も強くなっていきます。

 

こうして1960年代のフェミニズム運動において

男と女はすべての権利において対等である

と言う主張が登場し、

(今では当たり前ですが…)

瞬く間に世界中に広まりました。

 

とてつもない「豊かさ」を手にすれば、

男性も女性も、

誰もが自由に生きたいと思うようになるのです。


1960年代以降の後期近代の中心にある価値観は

「自分の人生を自分で自由に選択する」

すなわち「自己実現」です。

 

全ての人が自己実現の権利を持つ社会では、

人種、民族、国籍、性別、宗教、障害の有無などによる差別は

あってはならないことと否定されるようになりました。

 

なぜなら、

それは本人の意思や努力ではどうしようもないことです。

 

その自分の努力ではどうしようもないことで

自己実現を阻むことはあってはならないのです。
 

個人の自由(自己実現)を最大化するリベラルな社会の出現は、

前近代の社会に比べればもちろん素晴らしい進歩であり、

喜ばしいことですが、

 

あらゆることはトレードオフの関係にあります。

 

リベラルな社会の負の側面は、

「自己実現」と「自己責任」がコインの表裏であることと、

「個人の自由」が共同体を解体することです。
 

 

だれでも平等に自己実現を目指せる社会では、

 

「本人の意思やる気で格差が生じるのは当然だ」

「努力は正当に評価され

社会的な地位や経済的な豊かさに反映されるべきだ」

 

という考え方が当たり前になります。

 

能力主義がリベラルな社会の本質なのです。
 

自由と自己責任が光と影の関係である事は、

1943年、

ジャン・ポール・サルトルが著書の中ですでに指摘しています。
 

こうした「自己実現」=「自己責任」の論理は

1960年代になるとアメリカ渡り、

「自己啓発」として一気に広がります。

 

資本主義を肯定し、

自由な社会で自分らしく生きることをよしとする

この新しいポジティブ心理学では、

 

人生は自らの責任において切り開くものであり、

そこから得られる達成感こそに

価値があるとされたのです。
 

しかし、

当然、そういった価値観が息苦しく、

ついていけない人が生まれます。

 

そして、

そんな自分を価値がないものと自分で責め、

社会に適用できなくなっていきます。

 

しかし、

多くの人々は、

より自由に、より豊かに生きることを望み、

リベラル化が後戻りをする事はありません。
 

だとすれば、

これからも共同体の解体は進行し、

人間関係は

学校や社会に属することによる固定的なものから、

 

ネット上のコミュニティのような

即興的に合いたいときに集まり

イベントが終わると解散するものに変わり、

 

仕事はフリーエージェントが集まって

プロジェクト単位で行われるようになっていくはずです。

 

そして、

この劇的な変化に適応できない人たちが

行き場をなくして停滞し、

それが、社会を不安定なものにしていくことになります。
 

「豊かさ」が「自己実現」という価値観を生み、

それが、裏返すと「自己責任」という考え方に繋がり、

 

それに「ついていける人」と「いけない人」の分断と格差は

ますます加速します。

 

そういった社会は、

その反動で、

極端な精神世界への傾倒や、

 

差別はあっても、

自分に居場所があった時代への逆戻りすることへの

希求が起こります。

 

この先に、どんな未来があるのかは、

明日考えたいと思います。

 

 

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