いい家族ってあるもので、
その御一家は、私にとっては、まことに、神様からのプレゼントだった。
私がまだ20歳になるかならないかの頃、
私の行っていた教会には、青年の集まりがあって、
スイカの季節になると、
「食べたいだけ食べなさい」
と、言って、私たちをしばしば招いてくださる方がいた。
とても、きさくな方で、
とても青年たちを愛していてくださっていた。
私たちは庭先でお腹一杯スイカをよくいただいたものだった。
その方には、
これまた、きさくなかわいらしい夫人がいつも寄り添っておられた。
どうも、そのご夫妻には一人息子さんがおられたご様子だったけれど、
その息子さんのことはあまり話されなかったのであまり記憶に残っていない。
私たちがお訪ねしていた頃は、
今思えば、大阪の大学に行っておられたことになる。
学生会でお会いしたこともなぜか一度もなかった。
今思えば、その息子さんは、大変な秀才だったことになるが、
そのような話しは一度も聞いたことがなかった。
「2階は息子の部屋でしてね、」
と、言われたことだけがなぜか頭の片すみに残っている。
そのような青年時代を過ごして、
私は、20歳半ばで、田舎の保育所の保母を退職して
京都の保専に学びに出てゆき、
そこから、神戸の神学校で学ぶことになるのだけれど、
このお父さんは、
神学生時代立派なぶどうを2,3箱送ってくださった。
今でも忘れられない。
家族に反対されて入学した者にとって、
なぜか、身内の暖かさを覚えさせてくれた一コマだった。
後に、
このやさしいお父様がご逝去されたことを耳にして、
休暇の際、弔問に伺わせていただいたところ、
以前お礼に私が差し上げた本をご夫人が大切そうに出してきて見せてくださったことがあった。
やがて、このご夫人もまた、
ご逝去され、
ご夫人に大変よくしていただいたお礼をご子息にお伝えしたところ、
そのご子息から、丁寧なお便りをいただいて驚いたことがある。
その手紙には、
「私たち家族は、(私)を、家族の一人にすることとしたのです」
と、言った内容がそれとなく書かれていたのだ。
恐らく、誰一人家族にクリスチャンがいない私が神学校に行くことが不憫だったのだろう、
その方々は、私の知らないところで、私のような者をも家族の一員として受け入れ、祈り支えていてくれていたのだ。
ご夫妻からは一度もそのようなことを言葉としてお聞きすることはなかったが、
今思えば、その田舎の教会に在任中、手作りのお弁当や、あれこれと、
いつも、家族のように接してくださっていたことに気づかされる。
まるで、娘のように、しんぱいごとも話してくださっていた。
今、思えば、そうだった、、、、あの頃、確かに私たちは「家族」だったのだ!