観光に出かける前、誰もいなかったフロントで、写真を撮っておきました。花は造花ではなく実物でした。小さなホテルなのに、綺麗に飾られていました。
 朝食は、昨日と同じ席に座って、同じものを食べました。シャンデリアがあって窓は明るくなっていますが、ここは地下にある食堂です。
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 今日は、終日ロンドン観光です。最初に、タワー・ブリッジに行く予定だったので、パディントン駅からサークル・ラインでほぼ半周して、タワー・ヒル駅にゆくつもりでした。ところが、サークル・ラインと途中まで同じ線路を走るディストリクト・ラインが全く同じ外装の電車だったので、気づかぬまま、この電車に乗ってしまいました。外の風景と駅名から、「あれぇ~、ヘンだぞ~~」と気づいたのは、サークル・ラインから分岐して3つ目の駅でした。通勤時間帯だったので、多くの通勤客さんたちに迷惑をかけながら、3駅戻って、予定より40分ほど遅れてタワー・ヒル駅に着きました。
 個人旅行では、このようなことは大抵1度や2度はあります。これも旅のうちです。どうってことありません。
 ここ、タワー・ヒル駅は、ロンドン塔タワー・ブリッジというロンドンの2大観光地の最寄り駅です。
 快晴で冷たく清々しい空気の中、眩いばかりの朝日を浴びながら、何枚も写真を撮りつつ、お母さんの車椅子を押しながら、タワー・ブリッジを渡ります。
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 橋の中央付近に、タワー・ブリッジ観光用の入り口があります。若い女の子の係員が、車椅子を認めて専用の入り口から中に招き入れてくれました。
 入場料は、2人とも無料でした。破壊的に高いロンドンの物価なので、5万円分両替してきたポンドが、今日で全てなくなってしまうだろうと思っていたのですが、この後、訪れたウエストミンスター寺院でも車椅子観光客は二人とも無料だったので、その分だけ(2か所、計4人分で約1万円)残ったことになります。
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 係員のおじちゃんの説明を聞きながら、若者の外国人観光客4人と共にエレベーターで、最上階の4階に昇りました。そこには、タワー・ブリッジの昔の映像を流している部屋があったので、これを見ながらデジカメ動画に収めてきました。
 その部屋を出て、タワー・ブリッジを渡ります。すると、床が透明な強化ガラスで下が見えるようになっていました。安全と分かっていても、なんとなく足がすくんでしまいます。
 橋の真下より、西側のテムズ川の光景を見た方が綺麗です。巡洋艦ベルファスト記念艦や、一昨日行ったセント・ポール寺院などがよく見えます。
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 透明な強化ガラスの両側には、タワー・ブリッジに関する様々な展示があり、ここを渡った反対側の塔には、タワー・ブリッジができるまでの様子を再現するCG動画が放映されていました。で、その場で何気なく上を見上げたら、鉄骨に乗っている作業中のお人形がありました。これに気づくことなく行ってしまう人は少なくないでしょう。
 ここから、エレベーターで2階のエンジンルームを経て地上階に戻れます。
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 テムズ川に架かる橋を渡ってしまうと新市街に行ってしまうので、渡ることなく戻って、橋のたもとの階段を降りて、ロンドン塔に行きました。
 ロンドン塔は世界遺産ですが、かつては処刑場として使われていたこともあるちょっと危険な建物です。
 チケット売り場で、車椅子で回れるかどうか確認したところ、「階段はたくさんある」らしいことがわかりました。お母さんには、シンドそうだったので、外観をデジカメで撮影するだけにして、ロンドン塔の前にある、テムズ川クルーズの桟橋に行きました。
 ここから、テムズ川を西に向かって、40分ほどクルーズです。
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 一昨日は、テムズ川の南岸を歩いたのですが、船の上から見える両岸の景色について、それほど特徴的な印象はもてませんでした。
 ただ、左手の南岸は新市街で、新しい変わった形の高層ビルなどがいくつもあり、右手の北岸は旧市街で、歴史ある建物が比較的多く残っていることが分ります。
 前回来た時もクルーズを経験しているのですが、その時は、えらく元気な酔っ払いみたいなお兄ちゃんが、デカイ声で独演会の様なご機嫌ガイドをしていたことを、印象深く覚えています。今回は、音声ガイドは全くありません。
 オープンデッキの上では、観光客たちが様々な風景をバックに、記念写真を撮ることに熱中し続けていました。下の船室内では、もしかすると音声ガイドが流れていたかもしれませんが、行かなかったので分かりません。
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 クルーズ船は、5つの橋(ロンドン・ブリッジ、サウスワーク・ブルッジ、ミレニアム・ブリッジ、ブラックフライヤーズ・ブリッジ、ウォータールー・ブリッジ<写真:下の中央>の下をくぐり、ビック・ベンの袂にある、ウエストミンスター橋の手前の桟橋に停まりました。
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 今回、ビック・ベンをズームで撮ってみて、大層凝った装飾の作りであることに、初めて気づきました。本当に凝っています。
 馬車に乗った像は、「ブーディカの反乱」という名称がつけられています。ケルト人の女王だったブーディカが、ロンドンを支配したローマ帝国に対して蜂起したことを記念する像です。
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 観光客で混み合っているビック・ベン周辺は、一昨日来ているので、まっすぐにウエストミンスター寺院に向かいました
 ウエストミンスター寺院は、イギリス国教会のキリスト教寺院です。
 入場する列に並んでいると、ハリー・ポッターに出てくる黒いマントの魔法使いの様な服装をした、毅然としたというか誇りに満ちた態度の女性係員が、車椅子のお母さんを認めて、木の扉を開けて車椅子専用の入り口から中に招き入れてくれました。「まだ、入場券を買ってないんです」と言うと、入場券売り場の係員に、何か一言いって、無料の入場券を受取り、二人に手渡してくれました。ここでも、「サンキュー・ソーマッチ」です。
 寺院内部では、見どころの前に置かれているボードの番号を押すだけで、その場所の音声ガイドを聞くことができます。フランスのベルサイユ宮殿の使いずらい音声ガイドに比べると、イギリスのセント・ポール寺院も、ここウエストミンスター寺院も、とても使いやすい音声ガイドでした。だから、お母さんも貢一も、しっかり全部を聞くことができました。
 寺院内部には、歴代の王様の棺はもちろん、英国のために戦った戦没者たちや、立派な業績を残した芸術家や文学者たちを顕彰する碑がたくさんありました。
 そんな中でウルトラ・ビックリしたのは、ヘンデルの碑があったことです。
 ヘンデルの『メサイア(救世主)』を聞いて、あり得ない体験をしたのが10年ほど前で、ヘンデルが生まれた月日が貢一と同じであるを知ったのは2年前。偶々に読んだ本の中に書かれていたからです。しかし、ドイツで生まれたヘンデルがイギリスに帰化していたことなど、これを書いている今まで全然知らなかったので、「何で、ここに?」 だったのです。
 なので、本当は館内の写真撮影禁止なのですが、ここだけ禁を犯して写真を撮ってしまいました。ゴメンチャ。
                【アベィとカシードラル】              
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 ところが、館内の出口にあった売店で、先ほど撮ってしまったヘンデルの写真の絵ハガキを売っていました。これがあることが最初から分っていたら、デジカメは撮らなくてもよかったのですが・・・。この写真絵葉書も買ってきました。
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 ウエストミンスター寺院を出て、ウエストミンスター大聖堂に向かう途中にあった、お店で昼食です。
 現地のOLらしい人々が、野菜サラダや、野菜サンドを買ってゆきました。日本と同様、健康志向の女性たちが大分増えているようです。
 このお店の店内に、椅子は10席ほどしかありませんでしたが、車椅子のお母さんを見たロシア人の女の子たちが、席を詰めて座りやすい席を空けてくれました。欧米人は、車椅子の人に対して、本当に親切です。
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 いかにもビザンチン様式然としたウエストミンスター大聖堂には、一本の高い塔があり、エスカレーターで昇れると、ガイドブックにあったのですが、なぜか「登れない」と言われてしまいました。
 大聖堂内では、真摯な信者さんたちが祈りに没頭していました。ここには観光客が殆ど来ないので、祈りの場としての空間が、ちゃんと保たれていました。
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 キリスト教の大聖堂を上から見ると、十字架形状をした交差部分、ないし先端部分の上部はドーム形状をしています。しかし、イスラム教のモスクのような、完全な半球ドームではありません。
 それ以外で大雑把に違うと思うのは、キリスト教のチャペルは祈りによる接霊の場、イスラム教のモスクは空間接霊の場、という感じでしょうか。
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 ウエストミンスター大聖堂からゆっくり10分も歩けば、バッキンガム宮殿に着きます。
 観光客用に、衛兵の交代式の時間が表示されていました。この日は、もう終わっていたのですが、周辺には大勢の観光客がいて、写真を撮っていました。
 宮殿前の金ピカの像は、天使だと思いきや、羽のはえたビクトリア女王の記念碑だうことです。ややこしい。
 前回来た時は、衛兵のもっと近くに行けたような記憶があるのですが、今回は鉄格子状の柵の遠くからしか見られませんでした。ズームで撮って見ると、かなり若い少年衛兵のようです。
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 バッキンガム宮殿から、東北東に伸びるプラタナス並木の「ザ・マル」と呼ばれる道を、真っすぐ、トラファルガー広場に向かって進みます。
 この広場の長い棒の先端に立っているのは、トラファルガーの海戦で、フランス・スペインの連合艦隊を撃破し大勝利をおさめたイギリスの英雄・ネルソン提督の像です。
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 この広場には、ナショナル・ギャラリーという無料で入れる美術館があるのですが、大英博物館に行きたかったので、地下鉄駅に向かいました。
 ところが、ノーザン・ラインのホームに着くと、タイミングよく事故があったらしく、電車が止まってしまいました。仕方がないので、ベーカールー・ラインセントラル・ラインを乗り継いで、大英博物館に向かいました。
 
 
 大英博物館に最寄りのトッテナム・コート・ロード駅は、ロンドン・オリンピックの際に、大分改修されてしまったようです。以前は駅のホームの壁にモザイク・タイルの装飾がたくさんあったのですが、それらはなくなっていました。
 大英博物館は、無料で誰でも入れます。博物館内部も大幅に改修されていました。ここに着いたのは、閉館時間の30分前でした。イメージ 16
 エジプト展示室と、ギリシャ展示室を通り抜けて奥に向かいました。
 日本展示室を最初に見ようとそこを目指したのですが、目指す展示室に行けるエレベーターがどれかわからず、堂々巡り状態です。閉館時間間際だったからか、係員らしい人も見つからなかったのです。でも、なんとか、ようやく辿り着きました。
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 入り口付近にあったのは、百済観音で、次に茶室。それ以外で印象的だったのは、横尾忠則の代表作とは到底思えない人物画があったことと、日本のロボット技術発展をイメージで先導した鉄腕アトムの展示があったこととくらいです。
    《参照》   日本の産業技術力について《前編》
              □ ロボット先進国・日本 □
 日本展示といても、日本人の誰が観ても文句はない「日本を象徴する典型的な文物」を常に展示するというのではなく、その時々で、定期的に展示内容を入れ替えているようです。
 なので、偶々この時、この展示室だけを見て、日本に対するイメージを作ってしまったら、「かなり偏ったものになってしまうだろうなぁ~」と思いつつ見ていました。お母さんも、日本展示室を見ながら、「なんだかなぁ~」という感想だったようです。
 閉館時間を10分過ぎても、博物館中央のコンコースには、大勢の観光客がいました。だからと言って、まだこれから博物館内を巡るのはマナー違反と思い、帰ることにしました。
 
 とりあえず、これにて、ロンドンの主だった観光地は、2日間でほとんど見終わったはずです。
 
 地下鉄を乗り継いでパディントン駅に戻る車内で、ロンドン郊外に住んでいるという日本人女性と話す機会がありました。
 「車椅子で移動していると、西洋人はみな親切で、積極的に助けてくれる」ということを最初に話したのですが、混んだ車内に乗り込む時に助けてくれた現地のお兄ちゃんに、これを流暢な英語で伝えてくれたので、「イスペシャリー マン(特に男性は)」と付け加えておきました。なので、お兄ちゃんの笑顔が一層輝きました。
 また、「ロンドンは2000年以来の2回目です。ロンドン・オリンピックがあったからでしょうけど、2デッキバスも電車の車両も全部新しくなっていますね」と話したら、それほど昔からロンドンに住んではいないようで、やや困惑気味の表情でしたが、「ロンドン郊外では、今でも時々停電して、日常生活に支障をきたすようなことがあります」と聞かされて、「今でもですか?」と思わず聞き返してしまいました。先進国と言っても、世界の主要な都市の郊外では、未だにこの程度の状態なのです。
 災害でもない限り滅多なことでは停電などしない日本のインフラの優秀さは、日常生活に安定をもたらしているのみならず、工業製品の優秀さの基盤にもなっているのです。
    《参照》   日本の産業技術力について《前編》
              □ 高品質製品を支える日本の電力供給の技術品質 □
 夕ご飯は食べていなかったので、ホテルに向かう途中で、イギリス料理を代表する「フィッシュ&チップス」のメニューを表示していた小さなお店で、それを食べようと思っていました。でも、お母さんは、「パンが残っているなら、それを食べればいい」と言ったので、コンビニで、飲み物とチーズを買って帰ることにしてしまいました。