2日目です。
今日は、この旅の目的である、鞍馬寺のウエサク祭(五月満月祭)の日です。しかし、この祭祀は午後7時からなので、それまで、いくつかの神社を巡ることにします。
朝風呂に入り、お母さんの足にテンコモリの湿布薬を貼り、8時開店のサイゼリアでサンドイッチの朝食をとってから、宿泊した彦根ステーションホテルの近くにある多賀大社を目指します。
 
『多賀大社』
滋賀県の琵琶湖の東側にあります。
多賀大社は、「日本で一番美しいお社の形をしている神社」だと思っています。
お母さんもそれに異論はなさそうで、長いことお社を見つめていました。
朝一番の参拝だったこともあり、気が澄んでいて、観光客が少なかったことも幸いでした。
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古代日本の中心的なお宮なので、寄進のお玉串を5口させていただいたら、「同じものですが」と言いながら、2膳入りの「多賀長寿箸」を5セットもくれました。なので、帰ってきてから、さっそく、お母さんは毎日このお箸を使っています。
 
『松尾(まつのお)大社』
京都の嵐山にあります。
本当は、貴船神社をめざしていたのですが、いつも渋滞する東山付近を避けて南西側から京都市内に入ることにしたので、渋滞なく、時間に余裕ができました。そこで、この神社を参拝することにしました。
天皇家を輩出することになった秦氏の神社です。なので、本殿内は菊家紋の垂れ幕が下がっていました。
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大抵の神社のお手水は、龍の口から流れ出るように作られていいますが、ここ松尾大社では、亀さんの口から流れ出ています。
亀甲紋(ダビデの星)の元である亀はユダヤの一族であることを示しています。「かごめかごめ」の動揺に“夜明けの晩に、鶴と亀が統べった”という歌詞がありますが、鶴は日本のことですから、「夜明けの晩に、日本とユダヤが総合された」という意味になります。
柳本家は、明治のころまでは、「市朗兵衛」と「源左衛門」が隔世で襲名してきた家系だということですが、「市郎兵衛」は市杵島媛に通ずる古代日本の、「源左衛門」は源ソロモンを意味する古代ユダヤの名前なのだと思っています。
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いずれにせよ、柳本家はお墓に菊花紋の石碑がある家系ですから、本殿前にあった檜皮葺用の檜皮に名前を書いて寄進してきました。
 
【家系に関して、重要なことを書いておきます】
日本文化を軽視し侮蔑する朝鮮族の金子家は、山梨県一宮町に住みながら甲斐國一宮浅間神社を一切崇敬しない家系だそうですから、神国日本に深い縁ある柳本家を、名実ともに滅ぼすことになります。
既にその実績はあります。
金子家に嫁いだ柳本家の長女・裕子は、お母さんの預金口座から総額800万円を引出して横領していました。この事実が発覚し指摘された今年の2月以来、「返金する」とは決して言わずに、「柳本家には絶対に行かない」と尻をまくって有言実行しています。
明細を示してこの事実を指摘された金子寛も、電話で「何も言うことはない」ということでした。こちらも、お母さんの定期預金から360万円引き出していた2013年を最後に、一度たりとも柳本家に来たことはありません。
左門おじちゃん が、柳本家を守るために、ヒラで終わっていたはずの処をわざわざ韮崎高校を指定して校長になれていたのに、柳本家を守るどころか、左門おじちゃん死亡を聞いた年に定期預金を解約横領していてこの言いぐさですから、いかに金子家が神国日本を謀る逆縁の家系かが分かるというものです。
 


『渡月橋』

松尾大社から車で5分ほどの所にあります。
渡月橋は、京都で最高に混む観光地のひとつですから、橋のほとりにチョットだけ駐車して、写真を撮ってすぐに出発しました。
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『太秦 廣隆寺』
渡月橋から10分ほどの所にあります。
歴史の教科書に載っている「弥勒半跏思惟像」で有名なお寺なので、修学旅行生の定番立ち寄り箇所なのでしょう。大型観光バスが100台以上も停まれそうなドデカイ駐車場があります。
ここは、「弥勒半跏思惟像」を展示している建物がメインのお寺で、そこには、たくさんの仏像が並んでいるので、「いかにも京都に来た」という感慨を持てますが、聖徳太子の名が付いたお堂は外から見ることができるだけです。
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午後2時を過ぎていましたが、ここで駐車場付きのロイヤルホストで昼食を食べて、貴船神社に向かいます。
 
『貴船神社』
嵐電(京都市内嵐山付近を走る路面電車)の軌道を何度か踏み越えて、京都の北の山中にある貴船神社に着きました。
若い女性が観光客の9割です。縁結びのご利益ということなのでしょう。でも、ここ貴船神社は、そんな世俗的なことを叶えるためだけにある神社ではありません。
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「貴船」の“水”「鞍馬」の“火”で、=神 をなす重要な神社です。
だから、鞍馬山での神事に参加する前に、貴船神社に参拝したのです。
貴船川沿いの狭い道を上流側へ走って、奥宮(写真:右)にも行ってきました。
 
『鞍馬寺』
この旅の目的である、ウエサク祭(五月満月祭)が行われるのは、午後7時~11時にかけてです。
「お寺の近くの駐車場が空きますように」と神様に願いながら、現地に着き、お寺の一番近くの駐車場に行って見ました。しかしその入り口には「満車」の看板。ところが、そこに停まって中を見ると、椅子に座ったおじいちゃんが、手招きをしていました。なんと、ちょうど一台の空きがあった(!!!)のです。しかも、年に一度の特別な日であるにもかかわらず、駐車料金は「500円でいい」ということでした。わざわざ山梨から足の悪いお母さんと来たので、神様が願いを叶えてくれたのでしょう。
鞍馬山の山門から登拝電車(ケーブルカー)の所まで頑張って歩きました。本殿がある鞍馬山の山頂近くの高さまでこの電車で登ります。昨年は100円でしたが今年は200円になっていました。それでもこの料金は格安です。
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登拝電車の終点から本殿までは、まだ100段程ありましたが、お母さんは周りの神事参加者に励まされつつ、登り切りました。
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本殿前の神事会場に着いたのは神事開始の1時間半前です。神事参加の準備を整えました。この時撮った写真では、後方に空きスペースがありましたが、神事開始時には、文字通り「立錐の余地もない」ほどの満員でした。なので、会場アナウンスがあり、座ってではなく立ったまま神事を行うことになりました。その方が、体はきつくても、心は極まっていいことです。(神事中は、勿論、撮影禁止ですから、その写真はありません)
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昨年は雨模様の天気で護摩の炎は殆ど上がっていませんでしたが、満月が出ていた今年は綺麗な炎が上がり続けていました。お母さんは、立正佼成会で覚えたらしい御詠歌のような祈りが行われたときは、綺麗な声で一緒に詠じていました。
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護摩を焚く神事は9時頃終わりました。しかし、その後、神事の波動が籠った「お水」を参拝者に配るのに3時間以上かかります。去年は、一番最後に受け取ったので、24時を過ぎていました。今年は、お母さんといっしょなので、電車が動いているうちでないと、お山を降りられなくなってしまいます。なので、「お水」を受け取ることなく、9時で下山することにしました。これは仕方がないことです。
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年に一度のウエサク祭ですが、今年は、そもそもからして状況がチョット違います。参加できたお母さんは、何もわかっていなくても、幸いでした。
 
今日は、終わりの時間が遅いことがわかっていたので、ホテルは予約してありません。なので、鞍馬寺を後にして、途中の「すき家」で遅い夕食をとり、明日一番で参拝する予定の神社まで車を走らせ、深夜25:30にそこに着きました。車中泊です。
 
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