背中で語るという言葉を聞くが、
何を語るのあろうか?
今は、薬が効いているため痛みがなく、足に軽い麻痺がある。
入院していることが、不思議になるくらいだ。
「なぜ、ここにいるのだろうか?」と時々思う。
背中を切り、背骨を削り、腫瘍を取り、金属入れる・・・。
生まれたままの背中は、親には申し訳ないが、もう戻らない。
手術前に「背中」を、考えてみた。
・・・・いろんなことを思い出すが、
幼少のころ、父親と風呂に入って、背中流したこと
親と兄弟でキャッチボールや相撲をしたこと
これから先を考えないと!!
さて、私は息子や娘と、
風呂で背中流したこと、無いな。
熱心にキャッチボールしたことも、無いな。
思えば、転勤、単身、仕事が中心だったな。
私が背中で語ることができる「姿」」とは?
目の前の壁(闘病)を全力で乗り越える「姿」
私が、最低限果たすべき目的(使命)、
・この壁を乗り越える姿を見せること
・子供が成人するまで、生きること
私の親が3人の子を育てたように・・・。
この大壁をのりこえるために、
小壁をのりこえることを、「実行」する1歩が、今(手術入院)。
次の1歩(やることリスト)を「実行」することで、
大きな壁を乗り越えられるはず。
↓こんな風に、簡単に!!いける!!か?
これからは(も)、
自分の置かれた環境で、
小さなことでも、前向きに、真面目に、今を一生懸命に、過ごします。
改めて「一隅を照らす」人になります。(私の状況、命がけです)
みなさんの背中(姿)は何を、語るのだろうか?
微力ですが、応援してます。
照れくさい文章になってしまった。
恥ずかしい。