宇野昌磨君、シャンペリー入りしたのかなあ?どんなショーなんだろう?ハリーポッターをやるのかなあ?行かれた方のご報告を待ちます。

 

 

備忘録となっているこの日記です。いってみましょう。

 

 

 

 

昨日の土曜日。主人と私は目黒区の区民センターのプールに行きました。頑張って、水中ウォーキングをしました。水の中は気持ちいいです。プールの後は食堂に寄って野菜たっぷりのチキンカレーを頂きました。運動の後の食事は美味しいです。

 

今日の日曜日。私は美容院に行きました。髪の毛をシャンプーセットして頂きました。その後で、喫茶「風味」に寄ってランチ。ハムとポテトのサンドイッチ、アイスレモンティーを頂きました。

 

 

 

 

 

昨日3日の土曜日、今日4日の日曜日の夜、中目黒の夏祭りがありました。昨日は阿波踊り、今日はよさこいです。コロナで暫くお休みだったのですが、去年から復活しました。今年は凄い人出でした。当店の前も、どんどん踊りが進行していきました。踊り手さんの華麗な舞に暫し酔いしれました。子どもたちのかわいい踊りも良かったです。無事に夏祭りが開催されて良かったなあと思いました。

 

 

 

 

さて私は中谷順子様が「中谷順子詩集」(土曜美術社出版販売) 新・日本現代詩文庫168  をお送りくださったので、読みました。

 

ここでは、6篇、ご紹介させて頂きたいと思います。

 

「土佐」

 

坂本竜馬をみたのは小学生の頃だ。

その頃高知に住んでいて浦戸の海によく泳ぎ

にいった。地平線の遥か彼方に限りないロマ

ンを追う男の立像。その熱いものがどこから

くるのか私にはわからなかった。黒潮たぎる

その海の向こうにエゲレス、イスパニア、ル

ソン、アンナン、カンボジアの地を夢想する

土佐人の反骨を、その視線のなかに理解した

のは、それからだいぶ経てからのことだった

けれど。

 

風土とは不思議なものだ。

風土は人々に熱いロマンを吹きつける。

 

土佐に行かなくなってもう三十年になる。私

の土佐も遠くなってしまった。それなのにふ

と都会の雑踏のなかで、あの視線に出会うこ

とがある。おくれ髪も、袖も、袴の裾も海風

になびかせて、遥か遠くを眺望し続ける男の

立像、その淋しい視線の行方に黒潮燃える土

佐の海を追ってみたりするのだ。

年ごとに私のなかの土佐は膨らんでくる。

碧色の海を羽ばたかせながら・・・・

 

「九十九里浜で」

 

海は目の高さにある

押し寄せる厚い胸板よ

 

だからむきになって

論理を吹っかける

 

客の引き上げた片貝の海は

旗めいてさびしい

 

「空」

 

空を切るな

空は鳥たちのもの

葉を広げる梢のもの

獲物を狙うコヨーテのもの

草を食む臆病な羊のもの

地を這うトカゲのもの

沈黙する石仏のもの

みんなのものだ

 

空を切り売りするな

林立するビルに囲まれた

落とし穴の空は

いらない

 

はるか遠く蒼空が

小窓のように四角くみえる

その窓に向かって

なすすべもなく

垂直に垂れ下がった腕を

のばそう

 

腕はどんどんと高く高く

伸びる

伸びる

遠退いた希望のかなたから

空けられた唯一の

自由を吸い込むために

 

「茜雲」

 

とんぼは

捨てなくちゃなりません

身を軽くしないと飛べませんから

いらないものも いるものも

 

身を切って 風を切る

赤とんぼは

恥ずかしい恥ずかしいと飛んでいるのです

あっちに躓きこっちで震え

 

そのたびに真っ赤になって逃げていくのです

捨てっちまえば

もっと上手に飛べるのに

 

秋の蒼空の気高さが似合うのも

たなびく茜雲の憧れが似合うのも

その羞恥心を失わないから

 

捨てっちまえば もっと強く飛べるのよ

でも・・・

羞恥心は日本人の心ですもの

 

「オー、カー、ア、サン」

 

三歳になっても 私を呼ぶことができなかった

幼い息子にはその発音は難しかったのだ

ある日、初めて言った

一語一語、区切ったその発音は はじめ

何を言っているのか わからなかった

気づいて

嬉しさに私は微笑んだ

「ああ、『お母さん』って呼んでくれたのね」

すると 息子の顔も大きくほころんだ

得意のような 照れたような 満面の笑顔で

 

一人で淋しく息子を育てていた私は

あまり話しかけることをしなかった

無言のまま 息子の望みを察して動いた

そのかわり そのたびに

大きな笑顔を息子の目にふり注いだ

一つ覚えの会話のように

 

そのためなのか

人を見ると息子は いつも 誰にでも

満面の笑顔を示した

「まだ、怖さを知らないんだ、この子は」

そう言われたこともある

 

夕暮れの中で

息子が私を初めて呼んだ日

オー、カー、ア、サン

その幼いイントネーションが

私の胸の中で

今も

もう六十余年も経った今も

明るい木琴の笑顔を奏で続けている

 

 

「陽だまり」

 

人は素数だ

割り切れたりはしない

大勢の分母に組み込まれそうなときにも

自分だけの孤立した憂愁を生きている

 

だから辛いのだと 思うのだ

 

明るい光が射しているぽっかり空いた

無言でありながらも

過去からの押し寄せてくる陽だまりの懊悩を

色づいた葉がひらりひらりと舞い落ちている喧騒

桐の花びらが 一瞬を散っている

 

循環したりしない無限少数の続く

日常の円周を巡り回る 辿り着かない苦悩

 

まるで 自分を愛おしむように舞っていく花びら

  たち

 

知っているのに誰も教えたりはしない

秘密の物語に

なんと この世は満ちていることだろう

 

あなたは

辛いのは明日が閉じられた事ではなくて

自分だけしかいない このままの明日が

どこまでも続いていくことだ と 言った

 

何の喜びも感じないまま

着実に閉じていく空間に身を置いて

日を繰ることだけを希みにして

あなたは複素数の乾いた声で笑っている

 

閉じてしまった貝殻の 方程式の解を見失った苦

 い心情

秋の日の 蒼ざめた矜持

 

 

中谷順子様、ご恵贈ありがとうございました。

「土佐」 坂本竜馬には、ロマンを感じて憧れます。土佐に暮らしていたことがあるなんて、素敵ですね。

土佐に行かなくなってもう三十年になる。私の土佐も遠くなってしまった。  それでも、年ごとに私のなかの

土佐は膨らんでくる。碧色の海を羽ばたかせながら・・・ 土佐を故郷の一つに持っているなんて、羨ましいです。

 

「九十九里浜で」 だからむきになって 論理をふっかける  ちょっとクスっと笑ってしまいました。客の引き上げた片貝の海は旗めいてさびしい  何だか、私もさびしくなりました。

 

「空」 空を切るな みんなのものだ そうですね。切ってはいけませんね。唯一の自由を吸い込むために  も切ってはいけませんね。腕をどんどんと伸ばしていかなくてはいけませんね。

 

「茜雲」 赤とんぼは 恥ずかしい恥ずかしいと飛んでいるのです 捨てっちまえば もっと強く飛べるのよ でも・・

羞恥心は日本人の心ですもの  ああ、いいですね。本当にそう思います。羞恥心、大事にしなくてはいけませんね。

 

「オ、カー、ア、サン」 その幼いイントネーションが 私の胸の中で 今も もう六十余年も経った今も 明るい木琴の笑顔を奏で続けている 素晴らしいお話ですね! 感動しました。

 

「陽だまり」 人は素数だ そうなのですね。あなたは複素数の乾いた声で笑っている 閉じてしまった貝殻の 方程式の解を見失った苦い心情 秋の日の 蒼ざめた矜持  辛いですね。私には耐えられないかも・・・

 

 

ありがとうございました。ますますのご健筆とご活躍をお祈り申し上げます!