「THE ICE」、鼓童と昌磨君のコラボ、凄いようですね。Xに色々と流れてきます。「巡」?というの?

 

備忘録となっているこの日記です。いってみましょう。

 

 

 

 

昨日の土曜日。私は昔の仕事仲間のM子ちゃんにお会いしました。M子ちゃんのお誕生日が5月末、私の誕生日が6月末なので、以前は合同誕生会をやっていたのですが、コロナ禍でずっと中止になっていました。久しぶりにM子ちゃんが会える時に会っておきたいといってくださったので、ランチが実現しました。M子ちゃんが見つけてくれた中野の北口方面の「カフェ サンマリノ」でランチしました。生姜焼き定食を頂きました。近況報告や共通の知り合いのお話などさせて頂き、久しぶりに楽しかったです。そうですよね。この歳になると、会える時に会っておくって、大事ですよね。

 

今日の日曜日。私は所要があって、実家に寄ったあと、美容院に行きました。髪の毛を染めて頂きました。その後で喫茶「風味」に寄ってランチ。ハムとポテトのサンドイッチ、アイスコーヒーを頂きました。

帰宅して、色々な雑務をこなしました。

 

 

 

 

さて私は橋爪さち子様が御詩集「晴れ舞台」(土曜美術社出版販売)をお送りくださったので、読みました。

 

ここでは、5篇、ご紹介させて頂きたいと思います。

 

「友 一」

 

彼女からの賀状の返事には

「懐かしい方からのお年賀は

とても嬉しいのですが来年からは

ラインまたはメールにて」とあり

そのくせメール先も何も記されてはいない

 

決別の意かと感じた

ここらで学生時の縛りから解かれ

もっと自由に老いていきたい と

 

それならそれでいいけれど

 

ーー激しいデモの渦から逃れ

側溝に身をかがめて

吐いていた蒼白の彼女

いつも抜きんでた理論で

多くのゼミ仲間に思慕され あげく

敗北感に沈み込むように就職して

 

会えばたがいの傷口が開くようで

音信も絶えたまま

十数年ぶりに会った彼女は

離婚し再婚し思いもよらぬ宗教に

身をひるがえしていた

 

たまに会えば其れぞれの身内ばなしに盛り上がり

「少しも強くなってないね 私たち」などと

たわいなく笑って別れたが

 

いったい彼女はどのような

逃げと保留と新たな希望を重ねて

生きたのかは聞きも話しもしなかった

 

彼女とはもう会わないかも知れない

老いの心細さにしみじみ会うかも知れない

たとえ会っても会わなくても

麦の穂先のような彼女が爪先立つように

まっすぐこちらを見ている

 

 

「晴れ舞台」

 

炉から母のお骨が運び出されてきた

まだ熱いはずなのに

涼やかに咲く水辺の花のようで

 

もはや幼い日から限りない懐かしみと

甘やかな罪意識を

抱かせつづけた母ではなく 何かこう

 

ひっそりと聖なる香りの

ここではない何処か

違う次元の存在に転じたように

 

むしろ それは

至福にちかい色かたちをしていた

かも知れなかった

 

かあさんの晴れ舞台ですね

ふいに思いもかけぬことばが

私の胸にひろがる

 

係の人が

長い竹の箸で膝 大腿部と足許から

母の部分をひろいあげては壺に入れ

 

私たち親族も促されるままに

頬や頭部のかけらを繰りかえし

壺にひろい納め 最期に

 

座仏のかたちをした喉の部分が

壺の上部に納められて一度きりの母の

身を呈した渾身の舞台は蓋を閉じた

 

この炉の先の森のはずれでは今

一匹のさなぎの背が静かに割れ

ま白な蝶が生まれようとするのだろう

 

 

「よいこ」

 

施設の母の部屋の扉の半紙には

「みな よいこ」と書されていた

亡くなる少し前の自由書道で

各自が好きなことばを書いたのだという

みな とは

私と弟のことだったろうか

 

父を亡くした十二歳の私と十歳の弟の子育ては

三十二歳の母にとって

眼眩むほどの苦労の山河だっただろう

その母をあげく施設に置き去った子は

決してよいこ ではなかったし

母も自分を置き去る子に

億千の恨みを浴びせたかったはずだが

 

彼女が全存在を賭けて育てた我が子は

断じてよいこ でなければならなかったから

それが母のたったひとつの

誇りであり拠り所だったから

「どの子も良うしてくれますのや」

誰に聞かれても何時もそう彼女は答えた

 

私と弟の首はその度に

水のような柔らかな紐でゆるゆる

締めつけられ身もだえしたが

 

今は

それらすべてが遠いとおい日の

出来事だったというように姉弟は

気をよく合わせ母を寝かせた死の床の横で

葬儀の段取りを事務よく決めているのだ

 

ふいに

胸をつよく突き上げるものに押され

いざるように母の枕辺に近づいた

すぐ眼の先の彼女の顔は

まるで見知らぬ人のように

果てない距離にいるようだった

 

母を施設に置き去った瞬間から

ほんとうは私たち姉弟が

母から見棄てられたのかも知れなかった

 

億年のむかしにそうしたように

百年の後にそうするように

 

 

「よこがお」

 

車椅子で連れて来られた母

の顔を戸惑いがはしった

前回会ってからコロナ禍で

半年も途絶えてしまった面会解除だ

(覚えていないのかしら)

私と弟はたまらず

自分の名を口ぐちに告げた

 

母はふっくらと艶がよかった

ご飯は美味しく食べられてる?

今日は会うのが楽しみで眠れなかったよ

元気そうで嬉しいよ

母の顔がゆっくり解けていく

 

彼女が八十までつづけた書道塾の

折り手本帳を見せてみた

母の口がもごもごと動き

若菜帳の変体仮名をすらすらと読む

 

すごい すごい

素晴らしい お母さん

弟と私はまた口々に叫んだ

 

おそらく

もう歩くことのない母の脛を撫でてみる

思いのほかしっかりと骨太だ

それでこその白寿なんだろう

 

かあさん 言ってたね

いつか死んだら幽霊になって

四条の高級呉服店〇〇に忍び込み

何百万するという袖という袖に手を通したいとーー

そう

口にしようとしてはっと黙った

 

いつの間にか三人を

懐かしい夢のような柔らかな翳が

羽毛のように取り巻いていて

それが死のやさしい横顔に

限りなく似ている気がして

 

 

「お使い」

 

父の勤め先へ弟とふたりで 弁当を届けたことが

あった 稀にしか帰らない父を 家に呼び戻すた

め母が当時 八歳と六歳の私らを頼ったのだろう

 

父の高校へ着き 文化祭らしい派手な飾り付けの

校門前で生徒の一人に父の居場所を聞いた 歓声

が沸き私らを囲む輪が にわかに騒がしくなった

私と弟はただ恥ずかしく 小さく固まっていると

眼をパシパシさせた照れくさそうな父がやって来

た 生徒たちの輪が崩れ 後のことは記憶にない

 

父はその数年後に急逝した 姉弟で弁当を届けた

日は今も私の中で最も美しく深い秋の一日である

 

長じて弟に あの日のことを覚えているかと尋ね

たことがあった よく覚えている 弟はそう答え

私より二年も早く父と別れた彼の胸にも 同じ時

刻の父が鮮やかに生きつづけていると知り 温か

く至福のように静かなものが 私をつつみこんだ

 

母を亡くし彼女の遺品を整理していると 古いア

ルバムが出てきた 写真の父は没年に近づくほど

眼に見えて痩せている 気づかなかった 子ども

の私は 父を見つめることさえ知らなかったのか

 

晩年きちんと帰宅するようになるや 早々と逝っ

た父だったが 彼の長年にわたる外での生活は母

が推測したような優美なものではなく 下降一途

に病を得 敗走の果ての帰宅だったかも知れない

 

多く家族とではなく 生徒や同僚と撮った写真の

父が 乾杯の杯を高くかかげ 生徒たちと肩を組

み笑い 水辺の集合写真に長い脛を組み眩しげに

眼を細め微笑んでいる 父は蜜柑とキリンビール

が好きだったこと 弟は知っていただろうか 窓

の外を蝶が くの字のようにジグザグ飛行してい

く 危なっかしい勇者のように酔った父のように

 

 

橋爪さち子様、ご恵贈ありがとうございました。

「友一」 賀状、私も時々、迷います。決別の意? でも、どことなく気になる友人ですね。

「晴れ舞台」 自分の母の葬儀のことを思い出してしまいました。棺の中の母は綺麗な顔をしていました。そうだったのかも・・

あれは、母の晴れ舞台だったのかもしれないと思いました。

「よいこ」 お母様から見れば、やはりお二人とも、よいこだったんだと思いますよ。

「よこがお」死のやさしい横顔  でも3人の貴重な時間だったんですね。

「お使い」 姉弟で弁当を届けた日は今も私の中で最も美しく深い秋の一日  本当にそうなんだと思います。お父様との鮮やかな思い出なのですね。弟さんも覚えていて良かったなあと思いました。

 

 

ありがとうございました。私の亡き父、母のことと重ねて読ませて頂きました。ますますのご健筆とご活躍をお祈り申し上げます!