Number 宇野昌磨独占インタビューを読みました。昌磨君、ステファンに出会えて本当に良かったなと改めて思いました。

 

備忘録となっているこの日記です。いってみましょう。

 

昨日の火曜日。終日、雨。当店のお客様の入りは良くありませんでした。「日本の古本屋」からは、「元禄本農業全書」「武芸流派大事典」「北斎の帰還」にご注文が入りました。ありがとうございます!私は本の相場を調べる仕事をしました。主人は本の発送と整理に務めました。

 

 

 

 

今日の水曜日。6月15日に和子伯母(父の姉)が102歳で逝去したので、主人と甥っ子のアキちゃんと一緒にお葬式に参加しました。桐ケ谷斎場で行われました。従姉のマーちゃん、ユリちゃん、モッちゃんとその家族が迎えてくれました。和子伯母は老衰で眠るようにいったそうで、大往生でした。100歳の誕生日の時は総理大臣の表彰状と金杯、東京都知事の表彰状と江戸切子が授与されたそうです。和子伯母は文章を書くのが好きで、若い頃、文章教室に通ったことがあるそう。私が文を書くことが好きなのは、遺伝なのかもしれないと思っています。私の父が他界した時に、私は父の追悼詩集「虚空にもどる父」を刊行したのですが、和子伯母がとても喜んでくれて、「お父さんも天国で喜んでいるよ!」と声をかけてくれました。私は詩集を出すと、真っ先に和子伯母に送ったものです。和子伯母の逝去はちょっと淋しいけれど、でも102歳の大往生は素晴らしいことと思っています。写真は去年の10月の伯母の誕生日祝いに行ったときのもの。お会いしたのは、この日が最後になってしまいました。今日、伯母は沢山のお花に囲まれて本当に安らかな良いお顔をされていました。従姉の昌子さん、長い間の介護、ご苦労様でした。

 

 

 

 

さて私は草薙 定様が詩誌「橋 第170号 創刊六十周年記念号」をお送りくださったので、目を通しました。

 

ここでは、草薙 定様ご自身のお作をご紹介させて頂きたいと思います。

 

「竹を割ったように」

 

竹を割る

竹を割ったように

竹を割るーー

 つもりが

鉈の刃先が節にぶち当たり

抜き差しならなくなったり

意図せぬ方向に裂け目が走ったり

ときに枯れ竹の中には

千匹万匹のアリが巣くっていて

御開帳となるやいなや

たちまち手を這い 足に這い

衣服の下に侵入してきて

悲鳴で大口開けて閉口する

 

してみると

竹を割ったような性格とは

一筋縄ではいかない性格

という意だったのか

 

そう言い換えてはみたものの

すぐにまた疑問は浮上して

一筋縄に縛られる

一方では縄抜けしていく”言葉”たち

どこまでも追っていくと

ダイダロスの迷宮に幽閉されそうな

予感

 

三寒四温を重ね

やがて春めいた風が

竹林を吹き抜けると

笹ずれの音は海辺のさざめき

きのう降った花冷えの雨が

波しぶきとなって落ちてくる

 

花も散り行く頃には

命の錐が地表を貫き

気づいたときには

はや成竹の背丈に達していて

取り戻せない日々を繁らせてくる

 

大風にはあらがわず

雪の重みには低く頭をたれ

たわみ しない いなし

処世訓のような生きざま

 

青竹が青竹になってしまうと

昨日と変わらぬ今日が

あり続けるように錯覚もするが

光陰は待たない 竹をも人をも

足元おぼつかなく風雨に傾ぎ

ときに青竹に寄り掛かり

倒伏寸前の枯れ竹

 

雨後の竹の子 雨後の枯れ竹

という訳で

前置きが長くなったが

 

竹を割る

にうよたっ割を竹

竹を割るーー

 

 

草薙 定様 ご恵贈ありがとうございました。

千匹万匹のアリが巣くっていて   ウワー、見るからに痒そうと思いました。 「竹を割ったような性格」の定義も怪しくなりますね。 雨後の竹の子 雨後の枯れ竹 光陰は待たないのですね。 竹を割るのは思いがけず大変なことなのですね。

 

ありがとうございました。ますますのご健筆とご活躍をお祈り申し上げます!