明日からは、梅雨のような天気になるらしいです。

 

備忘録となっているこの日記です。いってみましょう。

 

昨日の月曜日。当店のお客様の入りはボツボツと。黒い帽子のお兄さん、豚の角煮が上手なお兄さんも見えました。「日本の古本屋」に登録していた「季刊 浮世絵」「動物の目でみる文化」が店頭で売れました。ありがとうございます!私は本の相場を調べる仕事をしました。主人は本の発送と整理に務めました。

 

今日の火曜日。主人は古書組合 南部支部の役員会に出席しました。

 

 

私は旧くからの知友、潤ちゃんにお会いしました。自由が丘の駅で待ち合わせて、近くの和食のお店「テツタロウ」に行きました。潤ちゃんは本日のランチ、私は肉豆腐定食を頂きました。お互いの近況、友人の近況など、食事をしながら色々なお話をしました。食事の後は、潤ちゃんの宝石店にお寄りし、色々と査定して頂きました。私自身は、宝石を身につけることはほとんどありませんが、宝石を見ること自体は好きです。ここでも、コーヒーを飲みながら、色々なお話で弾みました。潤ちゃん、ありがとう!

 

 

 

さて私は吉田義昭様が詩誌「みらいらん 13号」(洪水企画)をご恵贈くださったので、目を通しました。

 

ここでは、巻頭詩となっている吉田義昭様のお作をご紹介させて頂きたいと思います。

 

「余命」

 

正しい土地で死にたい

余命三ヶ月

突然 帰郷して来た友は

正しい明日を見つけた

明るい海辺の病室に入るという

十三年ぶりに

故郷の無人駅で落ち合い

よろけた肩を支え

熱い手を繋いだまま

いつしか老いすぎた二人

子供の頃に遊んだ

暖かな浜辺を歩いてみたが

黄昏時の海には色がない

 

正しい死に方で死にたい

余命三ヶ月

なかなか日も暮れていかない

正しい黄昏の時間なのか

波打ち際を漂っていた彼が

波音に消され語りだす声

私に語りかけてはいない

私に葬儀を託したいという

私に弔辞を頼みたいという

死者を讃えることは罪

弔辞は長く書いて欲しいので

下書きを必ず読ませて欲しいと

 

正しい時代に死にたい

無思想という思想

何も持たずに生きていた私たち

人生の脚色はしたくはない

この時代で見失った自分に怯え

悪い後悔ばかりしていたと

上手くは生きていなかったが

不器用な普通の人生を生きたと

泣きながら弔辞を読んでみたい

こんな時代を生きたことが幸運

何も残せず何も語れず 私も

正しい想い出のまま生きていたい

 

最後に私に会いに来たから

友は 死んでいく孤独を

死者になる私を許せと言ったが

私は友を心から許せない

空は晴れてはいたが色がない

波の音も聞こえなくなった

海鳥の鳴き声も風の音もない

海を歩き海の香りもしないのだ

正しい時代を生きたかったのか

余命三ヶ月

正しく決められた日に

私は愚かな友の弔辞を読むだろう

 

 

吉田義昭様ご恵贈ありがとうございました。

正しい土地で死にたい 余命三ヶ月  正しい死に方で死にたい 余命三ヶ月 正しい時代に死にたい 無思想という思想

正しい時代を生きたかったのか 余命三ヶ月  正しいを繰り返し 正しさにこだわる これは何なのでしょうか? 友人にも筆者にも、正しいということがとても大事なのですね。筆者も 正しい想い出のまま生きていたい とあります。余命三ヶ月で、あくまでも正しさにこだわること。二人の共通の人生においても、正しさにこだわってきたことがあったのでしょうね。

私に葬儀を託したいという 私に弔辞を頼みたいという 何かとても大変なことを引き受けてしまった気がします。友は 死んでいく孤独を 死者になる私を許せと言ったが 私は友を心から許せない   本当に心からはゆるせないだろうなあと共感しました。そして 正しく決められた日に 私は愚かな友の弔辞を読むだろう  ここでも正しくが出てきますね。  そして何とも切ない気持ちがこちらにも溢れてきます。

 

ありがとうございました。ますますのご健筆とご活躍を祈念致します!