アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ -98ページ目

アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ

アルビノという個性と共に暮らしています。

日々感じた事、思った事を綴っています♪

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16日の朝に夜行高速バスで今回の交流会の会場のあるJR高岡駅に到着した私はホテルに荷物を預け、いちろ雨晴海岸の撮影に向かいました。

駅の入り口に入ってすぐ、目の前をカラフルな電車が通り過ぎてホームに停車しました。

早速、駅の外のフェンス越しから見てみると私たち世代には懐かしい「忍者ハットリくん」が車体に描かれた車両でした。
「この車両に乗ってみたい」って思いましたが、どの路線の電車か分からなかったので、そのまま改札に向かい駅弁を買い、雨晴駅がある氷見線の7ホーム向かいました。

ホームに着いて、さっき見たあの車両が停車しているのを見て嬉しくなり撮影をしました。

撮影も終わり、走り出した車内で車窓から流れる景色を見ながら、名物の「ますのすし」をいただきました。

美味しいものをいただき、流れる景色を楽しんでいると、あっという間に「雨晴(あまはらし)」駅に到着しました。

ホームに降りると木製の小さな駅舎と年配の駅員さんが立って乗客を出迎えていました。

降りた乗客は私含め数名、いまはとても静かなこの駅も夏になればきっと、海水浴客で混むのかな?なんて事を思いながら、駅を出て踏み切りを渡り雨晴海岸へと向かいました。

雨晴(あまはらし)と言う名前の由来はこちらをご覧下さいね。

雨晴観光協会
http://www3.nsknet.or.jp/~amaharasi/

雨晴海岸に到着はしたものの、お天気が曇り空、写真で見た立山連峰が見えません。

「え~見えないの?」と思ったんですが、ここは気持ちを切り替えて「見えないのなら、見えないなりの雨晴海岸を撮影してみよう♪」と思いました。

早速、撮影ポイントの向かって歩いていると、雲間から「天使の梯子」が舞い降りてきました。

思わずカメラを構え、シャッターを切りました。
「なんて素晴らしいんでしょう」と感謝をしながら撮影をしていました。

そして撮影をしながら移動中に海の浅瀬に片足が落ちてしまいました!!!

水が澄み切っていて、砂浜と海の境を見間違えてしまっんです。
「それなら!この綺麗な海を撮ってみよう」と思い撮影を楽しみました。

キラキラと光る水面を撮影したり、PLフィルターで海の中の撮影もしてみました。

雨晴の海を見ていたら、横を氷見線を走る電車が通っていきました。

「あまはらし」の名前の様に、いまにも雨が降りそうだった空から光が降りて、温かな太陽が私を照らしてくれました。

今回は立山連峰を見る事はできませんでしたが、自然を撮影させていただく者として、どんな条件でも、その条件に合った素敵な景色はきっとあるはず、晴れには晴れの、曇りには曇りの、雨には雨のよさがあり、その素晴らしい景色を切り取るのが私たち撮影者で、静かにささやく自然からの声に耳を傾けその時の「最高の一枚、永遠の一瞬」を撮影できる感覚と基本の撮影技術をみにつけて、見て下さる方々に心の癒しを写真を通じて届けられたと思っています。

日々撮影の楽しみを実感しております。

ありがとうございます。
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録画していたドラマ「南極大陸」の影響で夢を見ました(*´∇`) 

私が南極大陸の地に上陸して、あれから16年経ったいまでも鮮明な夢を見ます。

まだまだ子供の21歳の私が初めての海外旅行に選んだのが南極大陸でした。

飛行機も乗った事もなかった私が、いきなり「南極に行きます」と言った時、家族も友人も同僚も笑って「じゃーね!行ってらっしゃ~い♪バイバ~イ♪」と笑って信じてくれませんでした(;^_^A

行くきっかけは初めての海外をどこへ行こうか考えていた時、祖母のところに届いていた旅雑誌に載っていた前年度の「南極旅行」の文字を見て「南極に行けるんだ!観測隊じゃなくても行けるんだ!」と、その場で旅行代理店に電話をした日が、なんと!その年の南極旅行のパンフレットが出来上がった日で、速達で送っていただき翌日、値段も見ずに申し込み者、第1号になりましたヾ(=^▽^=)ノ

南極を初めて知ったのは映画「南極物語」へ母に連れられて、近所の友達も連れて行ったのが南極と言う言葉を知った最初でした。

子供ながらに「南極へ行ってみたい」と強く思った事を覚えています。

この年は、とてもタイミングがよく「南極旅行10周年」の記念の年で、耐砕氷船「マルコポーロ号が南極への初出航」の年と重なりお値段も控えめの早期割引で88万円でした。

全てが初めてづくしの私にとって、南極大陸への旅行は、まさに冒険でした。

現実問題として資金どうするか?と考えた時に友達全員に電話をして「南極への資金を貯めるので今日から遊びません!」と連絡して、ローン以外の給料全額を南極旅行の資金として貯める事にしました(^O^)/

パスポートやスーツケースなど、いちから揃えなくてはならなかったので、旅行代理店の方に聞きながら揃えました。

カメラ本体、カメラ器材、フィルム、電池、ビデオ本体、ビデオ器材、テープ、バッテリーなどの荷物も多くなりました。

17日間(95年12月23日~96年1月8日)のお休みも、会社と交渉して取る許可がおりましたm(__)m

そして、南極大陸への出発の日、両親と兄夫婦が見送りに来てくれましたo(^∇^o)(o^∇^)o

母が添乗員さんに「本当に南極大陸へ行くんですか?」と出発日にも関わらず聞いて、添乗員さんから「本当に南極大陸へ行きますよ」との言葉に、やっと信じてくれました(;^_^A

南極までの日程は、日本(成田)→アメリカ(ロサンゼルス)→コロンビア(ボゴタ)→アルゼンチン(ブエノスアイレス)→(リオ・カジェゴス)→マゼラン海峡→南米最南端の街(ウッシュアイア)→ビーグル水道→ホーン岬→ドレーク海峡→南極半島→南シェトランド諸島→南極半島

と言う考えても想像がつかない日程でした。

ドラマに出てきた砕氷船「宗谷」出航の場面は涙なくしては見れませんでした。

私はウッシュアイアから耐砕氷船マルコポーロ号に乗船してビーグル水道を抜け、南米最南端ホーン岬を通り、いよいよ南極大陸へ向けて、大航海時代に「吠える60度」と恐れられた難所のドレーク海峡へ、常に風速数十メートル以上の強風と高波が荒れ狂う海峡を4万トンもある船が木の葉の様に揺れながらも1000キロを航海して南極半島が見えてきました。

南極が近づくにつれて想像を遥かに超えた巨大な氷山が次々と現われました。

南極海では、野性のクジラ・シャチ・・イルカなどなど見ることができました。

そしていよいよ南極大陸への上陸です。

私たちは外務省発行の「南極旅行者の手引き」のルールに従って、上陸しました。

私が見たのは、白一色の世界ではなく、温暖化の影響で岩が見えた南極と子育てシーズンのルッカリーを形勢したペンギンたちの集団でしたo(^∇^o)(o^∇^)o

紫外線はオゾンホールの関係で物凄く強く、感覚として皮膚が目の前でチリチリと焼けるのが分かりました(;^_^A

それでも、私にとっての南極大陸は想像を超えた無垢の大自然でしたヾ(=^▽^=)ノ

感動のあまり涙が止まらなくなり、感謝する気持ちで胸がいっぱいになりました゜+。(*′∇`)。+゜

この南極大陸の旅の経験で、私の人生観は大きく変わりました。

ドラマでは、これから航海が始まります。

どんな困難が待っているのか?楽しみにしています。

南極は神様の住む大陸とドラマで言っていましたが本当にそう思いました(*´∇`)

人の思いは、夢を叶える事だってできると、ドラマを見て思い私自身も子供の頃の夢を果たす事ができたのも「南極へ行きたい」と言う強い思いがあったからだと思います。

ドラマを見て、南極旅行の思い出がよみがえりました(*^_^*)
富山のトヨにゃんさん主催で高岡市で開催されました交流会も、おかげさまで無事に終わりました(*^_^*)

いままで北陸では、なかった会を作り交流会を開催する事ができましたのも、今回の交流会の主催者のトヨにゃんさんのご努力があればこそです(^-^)

交流会で配布されました資料もトヨにゃんさんの明るい人柄がうかがえる温かいデザインの資料でした(*^_^*)

今回、ご参加いただいた方々は、富山・石川・滋賀・大阪・千葉とMFMSの外川さんの働き掛けで来て下さった新聞記者さんの9名でしたo(^∇^o)(o^∇^)o

症状もそれぞれに違う皆さんが「見た目」と言う共通の問題を話し合いました(*^_^*)

まずは、交流会の前に参加されるみなさんと一緒にランチをいただき、そこですでに和やかで和気靄々として美味しい食事をいただきながらの楽しい時間を過ごしましたo(^∇^o)(o^∇^)o

そこから今回の交流会の会場へ移動、ここで記者さんと合流しました^ー^)人(^ー^

まず初めにトヨにゃんさんが作られた資料・そして交流会のアンケート、交流会スケジュール表をいただき、自己紹介からスタートしましたヾ(=^▽^=)ノ

自己紹介では名前・ハンドルネーム・年齢・住んでいる地域・症状・過去のお話・今のお話・などなど、いままでの経験を話ながら、見た目問題による生き辛さを、ひとりずつお話して下さいました(^-^)

みなさんがそれぞれに症状の違い、同じ症状でも場所の違い、育った地域、家族構成、親戚関係や友達や同僚との関係、周囲に理解があったか?なかった?と様々な違う状況の中で生活をなさっていて感じた事をお話下さいました(*^_^*)

その中で、みなさんが共通しておっしゃっていた事は交流会を通じて「話すことで気持ちが楽になる」と言う事でした。

もちろん、人に話をしたからと言って抱えている問題が解決するかは分かりません。

でも、共通する悩みを抱えながらも生きてきた仲間たちとの出会いと、抱え込んでいた話を聞いて理解してくれる仲間たちとの話し合い、みなさんが生きてきた中で得てきた知恵など、直接お話をする中で聞ける事は、とても大きな心の支えになったり、張り詰めていた気持ちを解きほぐして下さいます(*´∇`)

自己紹介が終わって次は、トヨにゃんさんが用意したお題を答える時間になり、まず最初に「いま、もし健常者に戻れるとしたら、あなたはどうする?」と言う質問では

・何もない状態になりたい

と言う方もいましたし

・この症状と生きてきて自分が確立したいまでは、あらためて変える気持ちににはなれない

と言う言葉や

・これは私なのですが

視力だけ普通の視力になりたい

と言う気持ちを話しました(^-^)

次に出たのは

メディアに見た目問題を、どう取り上げてほしいか?と言うお題では

・いま、社会で生きている方々の事を、まずは難しい事は抜きに知ってほしい

・まずは「正しい情報」を伝えてほしい

・辛い経験ばかり載せるのではなくて、明るく生きている皆さんの事も紹介してほしい

・取材を受ける方の負担になるような取材はしないでほしい

など、みなさんが積極的に発言して下さいました(*^_^*)

最後は、自由時間で、皆さんが買ってきたお土産をひろげて皆さんでいただきながら、気軽に話し合いましたo(^∇^o)(o^∇^)o

楽しい交流会も、あっという間に終わり、解散となりました。

そのあとは、私と大阪の方と石川の方が集まって、地元の方のご案内で4人で高岡市内を散策しました(*^_^*)

お寺は閉まっていましたので、前田利長公のお墓を見に行きましたら、ほろ酔い気分の地元のおじちゃんが案内をして下さいましたヾ(=^▽^=)ノ

空も暗くなりましたので、駅の近くの居酒屋で二次会をしましたo(^∇^o)(o^∇^)o

交流会と市内散策と仲良くなっていて、更にお酒が入って話が盛り上がりました(≧▼≦)

理解しあえる仲間たちとの交流は、なにものにもかえがたい大切なものになりますね゜+。(*′∇`)。+゜

これからも、全国各地で地元の方の主催での交流会が増える事を願っています^ー^)人(^ー^

今回、交流会を主催して下さったトヨにゃんさん、そして参加して下さったみなさん本当にありがとうございましたヾ(=^▽^=)ノ

また、お会いさせていただけることを楽しみにしておりますo(^∇^o)(o^∇^)o
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いま八王子夢美術館で開催中の写真家、土門拳「古寺巡礼」を見に行きました。

土門拳の古寺巡礼
http://www.yumebi.com/exb.html

期間2011.09.16(金)-2011.11.23(水・祝)

私が初めて土門拳さんの名前を知ったのは、高校3年の冬休み1月1日に乗車した寝台特急「富士」の車内での出来事です。

私にとって県外初めての一人旅、まだ見ぬ地への期待と不安をかかえての出発となりました。

B寝台の1階席だった私の向かいにお母さんと男の子が座っていました。

初めて見る車窓からの景色を眺めながら買ってきたお菓子を食べていましたら男の子が食べたそうに私を見てたのに気付き1箱あげました。

翌朝、私が一眼レフカメラを出して設定などの確認をしていると、昨日のお母さんに声をかけられました。

「いいカメラですね~♪素敵な写真が撮れるといいわね~♪写真家の土門拳を知っていますか?」と言う問いに正直に「すいません、初めてお聞きしました」と答えると「私、土門拳の事務所で勤めているので、今度よろければ見にきて下さいね♪」と、言っていただいたのが、初めて土門拳さんの名前を知る事になったきっかけです。

あれから20年、結局、私は事務所に行く事ができませんでした。

そして、先日NHK日曜美術館アートシーンで、土門拳さんの「古寺巡礼」の写真展が開催していると知りました。

ただ、場所など見ている間に終わってしまい、またもや出会うチャンスを逃してしまいました。

そして、新宿に映画を見に行って、ついでに立ち寄った紀伊國屋書店で本を買うためにレジ前で並んでいたら、なんと!古寺巡礼のパンフレットを見つけいただく事ができました。

そして、もうひとつのお話、明治神宮の薪能を見に行った時のお話ですが、開演時間を待つ列で神谷さんから「石井さんは明日は、どこか行かれますか?」と聞かれたので「土門拳さんの写真展『古寺巡礼』を拝見させていただくので八王子に行きます」と言いましたら「土門拳さん?もしかしたら亡くなった父の持ち物の中に『古寺巡礼』と言う写真集があった様に思います、片付けの時に捨てないでとっておいたけど、中を見た事がないので… もし、よかったら明日、確認して古寺巡礼があったら連絡しますね」と言っていただき、そこで話は終わりました。

10日に八王子に向かう列車内で本を読んでいましたら神谷さんからメールが届きました「やっぱり写真集は土門拳さんの『古寺巡礼』でした。よかったら写真集をお貸ししますので帰りに我が家に寄って下さいね♪一緒にお食事しながらお話しましょう♪」と言うメールでした。

また、これでもうひとつ土門拳さんとのつながりができて、嬉しい気持ちのまま八王子に向かいました。

美術館には10時には到着していたので、館内で上映していた土門拳さんの紹介VTRを見て、土門拳さんの事を初めて詳しく知りました。

広島の原爆の被害者の療養中の写真や、街にいる元気な子供たちの写真、そしてベストセラーになった「筑豊のこどもたち」など数々の写真を世に送り出しています。

その中でも「古寺巡礼」は、思い入れのある写真集なんだそうです。

会場には「古寺巡礼」の中から代表作など大きな写真からA4ほどの小さな作品まで所狭しと並んでいました。

土門さんの写真は、ただ全体像を撮るのではなく、建物や仏像などの一部を被写体と長時間、対峙し土門さんの視点で切り取り、その建物や仏像の特徴をより一層深く撮影しています。

見える部分だけでなく見えない部分まで感じれる写真で、そして弱視の私にとって嬉しかった事は、その一部分をアップで撮影しているので、普段は見ることができない部分も大きく見れるので仏像や建物に更に深く知りたいと思いました。

一番印象的だったのは仏像の表情がよくて、まるで生きている様でした。
土門さんの助手の方のお話では、かなりライティングへのこだわりがあったみたいで、それがあの生きた表情になって表れたのです。

ただ写真を写すだけにとどまらず「ここに行ってみたい」と思わせてくれる写真でした。

その後、帰りに神谷さんのご自宅に伺いました。

メールでおっしゃられていた様に「古寺巡礼」全巻が揃っていました。

私は大好きな「大和編」をお借りさせていただく事にして、神谷さんお手製のゴボウの入ったハンバーグなどいただきながら、3人で美味しくいただきました。

神谷さんのお父さんも、どんな思いで、この写真集を見ていたのでしょう。

綺麗に残された写真を見ると1ページずつ大切に見ていた事がうかがえます。

今度は神谷さんと、ご縁をいただいた私が見させていただく事に心から感謝いたします。

土門拳さんの写真を通じて、人とのご縁を感じる事ができた一日でした。
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今回はご招待をいただき明治神宮薪能を拝見させていただきました。

16時に受け付け開始と言う事で行きましたら、すでに多くのみなさんが並んでおられ私たちは50音順で「か」のグループになりました。

明治神宮には何度も参拝に来ていますが夜の神宮は初めてで、夕方になり虫が涼しげな鳴き声を奏でる中、薪がたかれた幻想的な参道を本殿に向かいしずしずと歩きました。

新南門をくぐると、今回の薪能の舞台がある本殿に到着、私たちは比較的に舞台から近くに座る事ができました。

今回の薪能は、ただの能ではなく神事としての、能の奉納と言う事で開催されました。

まず火をおこす神事を執り行い、能で使う薪につける火を神殿にておこし能舞台の四隅につけました。

そして全員の入場が済んだ事を確認し新南門の大きな木の門を閉めます。

神主が舞台に立ち全員が起立し頭を下げてお祓いを受けました。

神様にご奉納いただく薪能を私たちも拝見させていただく形で進行していきます。

薪にくべられた木が燃え盛り、木が割れる音が「ピシッ!ピシッ!」と鳴るたびに、火花がまるで蛍の様に舞台のまわりを飛んでいました。

そして、静かな笛の音から薪能が始まりました。


演目は以下の通りです。

演目 「翁」
金春安明/金春流

狂言 「末広がり」
大藏彌太郎/大蔵流

半能 「石橋(しゃっきょう)」
本田光洋/金春流

比較的に有名な演目をなさって下さり初めての私でも楽しむ事ができました。

拝見させて気がついた事は、とにかくシンプルで無駄な動きがなく、所作全てが美しい、と言う事です。

シンプルな音、シンプルな所作は、いまの音楽と違って、沢山の音で隠す事ができないシンプルだからこその本当の難しさがあると思います。

それと独特だったのは「無の時間」があること、これは「間」と言う事になるのですが、この何も無い時間が、より一層この場の雰囲気を引き締めます。

海外で演じられると、海外の人たちは能が終わったと勘違いをして拍手するみたいですが、それくらい長い時間、間をあけると言う事は他の国ではないのだと思います。

日本の「間」と言う感覚は独特なものなのでしょう。

その難しい演目をなさって下さったのが以下に、ご紹介させていただくみなさんです。

今回の薪能の出演者のプロフィールです。

金春 安明(こんぱる やすあき)
金春流八十世宗家。
1952年生まれ
七十九世金春信高の長男
重要無形文化財総合指定保持者

大藏 彌太郎(おおくら やたろう)
大蔵流二十五世宗家
1948年生まれ
二十四世大藏彌右衛門の長男
重要無形文化財総合指定保持者

本田 光洋(ほんだ みつひろ)
金春流能楽師
1942年生まれ
重要無形文化財総合指定保持者
文化庁芸術祭優秀賞(1976年)


今回の薪能の最中に、たまたまお客さんの囁きで「今夜は13夜だからね」の話しが聞こえ空を見上げたら、なんと!あきらかに飛行機ではない光が「す~♪」と飛んで行きました。

そういえば昨夜から今朝にかけてジャコビニ流星群の日でしかも13年ぶりの極大日だった事を思い出しました。

場内は、ただただ虫の音と薪の音、能の歌声と鼓や太鼓や笛の音が響き、ここが原宿であることを忘れる幻想的な空間に染まっていました。

上に書きました様に、能の無駄のない動き、身体がブレない姿は現代の激しいダンスよりそうとう筋肉を使うであろうと思いました。

動きがシンプルであれば、あるほどごまかしがききません。

神社でよく拝見する神楽「浦安の舞」もそうですが、静かで動きも少なく一見するとインパクトがない様に見えて、そうではなく物凄い存在感と凛とした一本筋の通った姿は、見ているだけで心があらわれた気分にさせられます。

まさにそんな感じがしました。

本物と言うものは、こういうものであると言う事を静かに、それでいて印象強く教えていただいた気がします。

今回は古来より伝わる日本の古典芸能の素晴らしさを、これでもかと心に刻み付けました。

まだまだ、この世の中には知らない事が沢山あります。

これからも、もっともっと多くの日本の古典について、頭で学ぶのではなく心で感じる事ができるようになりたいと思いました。

不思議な事がありました。

薪能が終わり、各エリア毎に会場を出るのですが、私たちが新南門を出て、ほんの少しして「サー!」と雨が降り始めました。

何というタイミングなんでしょう、まるで全てが終わったのを見ていたかの様なタイミングで、境内を雨でお清めして下さった様です。

今回、私が薪能を拝見できたのは、一度もお会いした事がない方からのお誘いでした。
昨日もお会いできませんでしたが本当に感謝です。

なんと!この薪能を見たいと言う方が多くて募集人数に対して応募された方が物凄く多く「12倍」と言う難関から選ばれ招待券をいただき、その有り難い招待券を私に送って下さったお心遣いに重ねて感謝いたします。

神様とのご縁、能とのご縁、そして人とのご縁、全てのご縁にありがとうございます。