グリ友さんから、以前にお聞きしたお話です。
末期の患者さんを専門で在宅介護をなさっているグリ友さんは訪問先で、お料理もつくられるそうです。
そのお料理を撮影して、日記で『グリ友ちゃんレストラン』として公開もしていて、とても美味しそうと言う事で、とても人気です。
患者さんから支払われている予算が限られている事もあるのですが『食材を無駄にしない』事をしながらも『見た目の彩り』をとても大切にする事を心がけているそうです。
末期ガンの方では食事ができない方もいるそうで、それでも食べないと分かっていても、ご依頼があり、お食事を作られるそうです。
確かに食材は無駄になってしまうでしょう、でもその患者さんにとっては目でいただく最高のご馳走です。
末期で食事がいただけないからといって、ただ栄養を送っているだけでは、生きていると言う意味すら見失いそうになります、例え食べられなくても目の前に彩りも鮮やかな美味しそうな食事を出されたら嬉しくなると思います。
このお話を聞いて、帝国ホテルの総料理長をしていた方のお話を思い出しました。
戦後シベリアに抑留されていた時に、ある方が病気になり「最後にパイナップルを食べたい」と言ったそうです、もちろんその時代のシベリアにはパイナップルなどありません、それを聞いてリンゴをパイナップルの缶詰の様に輪に切り包丁で筋目を入れてハチミツで煮てパイナップルだと嘘をついて食べさせたそうです。
その後、数十年が経ちその亡くなっていると思った方に再会したそうです。
そして「あんなに美味しいパイナップルは初めて食べた」と言い、それ以来、生きる気力が出てきたそうで、実はあれはリンゴだと教えたらビックリしていたそうです。
「食事で人の命を救う人の料理を食べてみたい」と私の誕生日に総料理長が直々料理する日に重なった事もあり、友達といただいてきました。
総料理長ともお話をさせていただき「料理って命そのものなんだ」と教えていただきました。
話は戻り、グリ友さんの作られる料理は、正に「命の料理」なんだと思いました。
上に食材は無駄にしないと書いてあるのに食べない食事をつくる、って無駄じゃないって思う人がいると思います。
でも、その料理を見て目でいただき、生きている意味を感じる事ができたのなら、それによって生きる気力がわいてきたら、それはきっと無駄ではないと思いました。
命の料理は、いただかなくても命にとっては美味しい食事なんでしょうね。