思い出とともに | アルビノ白くまのぽかぽか日和ヾ(=^▽^=)ノ

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アルビノという個性と共に暮らしています。

日々感じた事、思った事を綴っています♪


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昨日、小学3年生の時に担任をして下さった木実先生が亡くなられたと連絡を受けました。

まだ60代という若さで、ガンだったそうです。

木実先生とは卒業してからも、母が奈良輪小学校に勤務した時に校長先生だった関係で、それからはイガイガ兄貴とよく会いに行きました。

小学3年生と言えば、私とイガイガ兄貴が出会った思い出の年です。

先生は親も先生で学生時代には同じ学校に親が先生としていた事で嫌な経験もされて、それで就職は製鉄の会社に勤務しました。

30代になり「本当に自分がしたいことはなんだろう?」と考えて課長までなっていた職を辞めて「子供達に勉強の楽しさを伝えたい」と言う一心で一念発起して親と同じ教師の道に入りました。

生前、私に「のぶくん人生のスタートは自分が決めた時から、どこでもスタートできるんだよ、だから物事を始めるのに遅いなんてないんだよ!自分が決めたその時がスタートなんだよ、ぼくだって30代過ぎてから教師の道に進む事ができた、だからのぶくんが始めた事もきっとうまくいくから頑張りなさい」と私の活動を応援して下さいました。

小学3年生の時、まだ私達が長浦小学校にいた時は、朝ベランダで憂うつな気持ちになって、空を眺めていると先生が自転車で坂道を下ってくる姿を見て「おはよう~」って元気な声で声をかけてもらうと私も元気になりました。

3年生の一年間を休まず学校に通った時に皆勤賞として小さな賞状をいただきました。

生まれて初めての賞状で、嬉しくて嬉しくてフォトスタンドに入れて飾り、いまでも大切にもっています。

卒業して以来、初めて再会した時に先生が「あの当時のぶくんが勉強をしづらそうにしていたのは、本当は分かっていたんだよ、でもあの当時は私自身もどうしてあげられる力がなかったんだ、本当にのぶくんには申し訳ない事をしてしまった本当にすまなかった」と頭を下げて下さいました。

でも、私にとって木実先生はご自分が勤務していた製鉄所のお話を社会の時間にされて、私は初めて社会人と言う事や親も働いて私達のために頑張っていると言う事を教えて下さった先生でした。

木実先生のお話ですと、私との経験から「このままではいけない」と思い、袖ケ浦市で初めて特別支援学級を始めて、それ以来、学校が代わる度に支援学級をつくられ、最後には千葉県教育委員会の特別支援学級の会長までされ、私の活動を千葉県学校長会議で発表して下さいました。

読み書きもろくにできなかった私が、いまではこうして毎日日記を書き、人前でパニックになってふざけるか騒ぐしかできなかった私が、いまでは講演会までさせていただいている事を先生は本当に嬉しく思って下さいました。

新聞に載る度に電話をくれて「のぶくん先生は本当に嬉しいよ、こんなにも立派な教え子をもてた事を誇りに思うよ」と言って下さった木実先生も、もういないと思うと悲しくて涙か出て止まりません。

こんな私をいつも応援して下さった木実先生、私は先生の教え子で幸せでした。

私は先生がいなくなっても、ずっと先生の教え子です。

先生に教えていただいた言葉を胸に、これからも活動を頑張ります。

先生どうか見守って下さい。

先生は私の心の中に、いつまでも生きつづけます。

木実先生本当にありがとうございます。

私はさよならはいいません、だってずっと先生の教え子でいたいから…

心よりご冥福をお祈りいたします。