論語知らずの論語塾101~安岡正篤の憂慮 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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きょうは、79回目の終戦の日。

 

先日の論語塾で、安岡定子塾長がしみじみ言った。

「昭和20年8月10日から15日、祖父はどんな気持ちで過ごしていたのでしょう…。いたたまれない気持ちになります」。

 

昭和20年8月10日、正篤は、自らが設立した農士学校の生徒に手紙を出している。ポツダム宣言受諾をいち早く知った正篤が、戦後の日本を憂慮する内容だ。日本農士学校は、国家を担う有為な人材の養成を目指して作られた。

「急ぎ、この事態を諸君に伝え、敗戦と今後について深く考え省みることに役立ててほしい」という思いから認められた。

敗戦の理由を「道義の頽廃」と「科学力と政治力の未熟の結果」と断じている。敗戦後「考えのない者やずる賢い者がのさぼるようになり、正当でない邪な主張が横行して、国民の心は迷い乱されることになる」と憂えている。

「自己の人間性を磨いて、歴史と信仰ある日本を守り続けることに後悔のないように強い決意を持って行動してほしい」と激励している。

              (公益財団法人 郷学研修所発行『郷学』参照)

 

もう一つは、終戦の詔勅に対する憂慮だ。

正篤さんは、詔勅に「義命の存する所」と、「万世の為に太平を開かむと欲す」の二点を入れることを進言した。

天皇陛下が「堪へ難きを堪へ」と言われていることを推察して、それにふさわしい重いお言葉がなくてはならない。 そこで「義命」という言葉を選んだ。

国の命運は義によって造られて行かねばならない。 

その道義の至上命令の示す所によって終戦の道を選ぶのである。

「万世の為に太平を開かむと欲す」も「永遠の平和を確保せむることを期す」より強く重々しい。 

正篤さんは、終戦の詔勅の眼目は、「義命の存する所」と「万世の為に太平を開かむ」の二つにあると考えた。 

日本は何が故に戦いを収めようとしているのか、その真の意義を明確にしておかなければならない。 

従って、内閣書記長官をしていた迫水久常さんに、どのような理由や差し障りがあっても、この二つの眼目は絶対に譲ってはならない、とくれぐれも念を押したが、閣議の席で、二つとも難しくて国民には分りにくいから変えてはとの意見が出された。

結局、「義命の存する所」という一番の眼目を、「時運の趨(おもむ)く所」という最も低俗というより不思議な言葉に改められてしまった。 

これは永久にとりかえしのつかない、時の内閣の重大な責任といわねばならない。 「時運の趨く所」の意味はいってみれば成り行き任せ。 終戦が成り行き任せで行われたということになる。

時運はどうあれ、勝敗を超越して「義命」という両親の至上命令に従うことで、はじめて権威が立つのである。

戦後、日本は大きく繁栄した。 この繁栄の基礎に、「信以て義を行い、義以て命を成す」。 義命が存していたならば、人の心は荒廃せずに済んだであろうと、正篤さんは嘆いた。