養老先生のおはなし | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

過日、養老孟司さんの講演会に行ってきた。

いまいちばん会いたい人。

リアルで話を聞くのは初めてだ。

変な言い方だが、舞台に養老さんが姿を見せた瞬間、

「ほんものだー」と思ってしまった。

満を持しての登場という空気感ではなく、

まことにさりげなく、フラリと現れた。

逆にこういうほうが「カリスマ」を感じさせると思う。

晩年の朝比奈隆さんが、舞台に現れたときのように。

 

話すことばは、明瞭ではない。

口の中でモゴモゴ言っている感じ。

壇上を、右に左に動き回る。

ホワイトボードに、短いことばや簡単な図を書いては消し、

消しては書く。

実に「飄々淡々」。横町のご隠居が雑談をしているようで、

「講演会でござい」としゃちこばったところは、まるでない。

発音がはっきりしなくても、起承転結がなくても、

雲をつかむような話でも、煙に巻かれているようでも、いいのだ。

「養老孟司」だからいいのだ。

「養老孟司」だから聞いてしまうのだ。

「養老孟司独演会」は、

午後6時半ちょうどに始まり、午後8時ちょうどに終わった。

 

地球には、たくさんの生き物が共存している。

「自分の車が蹴られたら、自分が蹴られたような気になるでしょ」。

環境問題もそれと一緒。

地球には、人間だけが住んでいるのではないのだから。

人間だけを前提に環境問題を議論するのはヘン。

環境問題の壁を作っているのは人間自身。

論理的、効率的概念はアブナイ。

「自然」とは、「自ずから然り」なのだ。

「あるがまま」。

人間が勝手に自然に手を下すことは自然ではないのだ。

こぶし振り上げて、自然破壊反対論を繰り広げられるより、

極めてまっとうなことを飄々淡々と語られる方が、腑に落ちるものだ。

 

講演会の2日前まで、台湾で虫探しをしていたらしい。

自然の中に身を置いていて、

「東京渋谷に久しぶりに出てきたが目が回りそう」と言いながら、

少しも動じていない。