釈徹宗さんも、細川貂々さんも、生きべたさんらしい。
ツレがうつになった漫画家の細川貂々さんには、ラジオでインタビューしたことがある。ご自身も「超ネガティブ思考クイーン」だったと述懐する。
釈さんは、浄土真宗本願寺派の如来寺19代目住職。
幼いころから「お寺の子としてのふるまい」を求められ息苦しかった。
小学生の頃は、優等生。児童会会長もしていた。
その反動からか、中学生になると無免許で原付バイクに乗り、警察に補導され、学校を停学になったこともある。
人の気持ちがわからず、心ない言動もしている。
それをフラシュバックのように思い出すと、メチャクチャ落ち込む。
身の置き所がなくなり、意味不明の独り言を大声で発する。
かなりアブナイ人(笑)。
転機は40歳くらいのとき。
釈さんは、愛想がいいわりに、誰とも親しくならないタイプだったが、
「関係性でものごとを考える」というテーマが浮上し、自称「巻き込まれキャンペーン」を始めた。どんな誘いも断らないようにした。興味がないことには近寄らなかったが、意味を考えず、とりあえず巻き込まれてみた。これをほぼ10年続けた。だが収拾がつかなくなり「お断りキャンペーン」に移行したが、時すでに遅し。年齢的立場的に断れないものもあり、「中途半端キャンペーン」になってしまった。自分でキャンペーン化しないと出来ないこと自体、矛盾を抱えている。
このキャンペーンは、「生きることは思い通りにならない」と知る絶好の機会でもあった。
生きづらさを軽くする手立て。
●自分の弱さを知る。苦手な場面を認識する。
●弱さを自己開示する。感情をことばにする。
●同じ問題を抱えている人との居場所を大切にする。
●「開放の窓」を広げる。
※ジョハリの窓~開放の自己、秘密の自己、盲点の自己、未知の自己。未知の領域が小さいほど、生きやすくなる。
●他者を観察しマネしてみる。
違いを見つけることが自己発見。他者観察は自己分析。
●抱えている問題を可視化する。
●自分の中の「別な顔」を発達させる。
●ズラして生きる。
思い通りにならないことを、立ち位置をズラし、だましだまし歩む。
●原因を適切に帰属させる。
釈迦は「過去を追うな。未来を願うな。今なすべきことをなせ」と説いた。あらゆることはその場限り。良いことも束の間ならば、辛いことも一時的。そう思えば、安心して不安になれる。
今なすべきことだけに集中していれば、次の瞬間が変わる。
そして、その瞬間瞬間をも手放す。
手放し、執着しないことで、心身は調っていく。
自分なんて確たるものではない。
矛盾をいっぱい抱えている。
このやっかいな「自分というもの」とどう付き合うか。
その取り組みが、自分の人生の主人公を自分にする。
自分が生きる方向を指す言葉や、自分を支える言葉を唱えながら、
人生を歩いていく。
釈さんは言う。
「南無阿弥陀仏」と唱えることは、
「この世界に満ちる限りない光と限りない命の働きにお任せして生きていきます」ということだ。