やすやすと挫折してはいけない | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

いちばん映画をよく見たのは、大学生のころ。

ロードショーより名画座に、よく足を運んだ。

語学堪能でない身としては、

映画に引き込まれるか否かは、字幕によることが大きかった。

スクリーンに紹介される字幕を手掛けた人の名は、ほとんどが「戸田奈津子」だった。

その戸田奈津子さんも86歳。

1500本以上の映画の字幕翻訳を手掛けながら、来日したハリウッドスターの通訳をしてきたが、先日、通訳の引退を表明。

一線を退くことを明かしたのは、86歳の誕生日である7月3日。

字幕を手掛けたトム・クルーズさん主演の映画「トップガン マーヴェリック」の関連イベントに登壇した時のことだった。

「この年になって100%を欠き、即座にうまく通訳できなかったら、いつも200%の力を出す努力をしているトムに申し訳ない」。クルーズさんのビデオメッセージの通訳をしたこの日が最後の仕事となった。

「通訳はその場ですぐ反応することを要求される。翻訳とは全くスピード感が違います。やっぱり年を取ると、いろいろと衰えていくでしょ? ドジをする前に辞めた方がいいと思ったの」

 

戸田さんと洋画との出会いは、戦後の焼け野原に建つ、掘っ立て小屋のような映画館。小学生だった戸田さんは夢中になった。灰色の現実とは全く違う世界がそこにはあった。

字幕の奥深さに気づいたのは高校生の時。

名作「第三の男」の「今夜の酒は荒れそうだ」というセリフにしびれた。「男っぽくて、場面にもぴったり合って、かっこいいと思った。でも、耳を凝らして聞いたら原文の直訳とは全然違う。字幕は必ずしも原文のままではないと知り、その面白さに気づきました」

英文科に進んだ大学でも授業はそっちのけで映画漬けの日々。

就職を考えた時、映画の字幕翻訳が頭に浮かんだ。

洋画配給会社の翻訳仕事をフリーランスで少しずつこなしながら人脈を作り、チャンスを待った。

来日するスターの通訳の仕事が舞い込んだのは30代前半。

場数を踏み、実力を磨いていった。

そして、フランシス・コッポラ監督との出会いが、戸田さんの運命を大きく動かす。「地獄の黙示録」の撮影で、ロケ地のフィリピンに通ったコッポラ監督。乗り継ぎで頻繁に来日する際の通訳を依頼された。

そこで監督の信頼を勝ち取り、「地獄の黙示録」の字幕翻訳に起用された。当時は43歳。字幕翻訳家を志してから20年がたっていた。

大作を手掛けたことで認められ、それ以来、仕事の依頼が「雨あられのごとく降ってきた」。女性の字幕翻訳家のパイオニアでもあった。

20世紀後半の良質な映画があふれていた時代、それらにどっぷりと関わった。当時は、週1本のペースで字幕をこなす忙しさ。

翻訳する時、大切にしてきたことがある。「一瞬で読めない字幕は、鑑賞の邪魔をする。頭を素通りするくらい自然にすっと入ってくる字幕が一番いい」

現在は、「トップガン~」のように、過去に字幕を担当したシリーズ作に絞って、字幕を請け負う。「いい映画ばかりやらせていただき、何も悔いはないですが、頭がどうかならない限りは、字幕の方は続けたい」

 

何百人と通訳する中で、特別に気が合い、交流を深めたハリウッドスターがいる。クルーズさんの他にもリチャード・ギアさん、ハリソン・フォードさんたち。

「彼らは競争の激しい世界で、自分のやりたいことをやり遂げてきている。私なんか比べものにならない苦難の道を越えている。その姿を見れば、何かしようとした時に、やすやすと挫折してはいけないと学びました」

戸田さん自身も、やすやすと挫折してこなかったから、今日がある。

 

最近の映画界については、いささか辛口。

「21世紀になって、メインがCG映画になり、同じ“映画”でも、全く質が違う。昔は、私が字幕をやりたいと思う素晴らしい作品がたくさんあった。今の映画で育っていたら、この仕事はしてないでしょうね」

同業を志す若い人には、「英語力を磨くことは基本。それは言うに及ばないことです。勝負どころは日本語よ。まず読書をして、日本語を学んでほしい」という。

(毎日新聞の9月2日付け記事を参考)

(戸田奈津子さん)

(トム・クルーズと親しい)