作家で精神科医の帚木蓬生さんが、いいことを教えてくれた。
朝日新聞の記事(8月9日付)からシェアしたい。
闘病期間が長い患者さんと向き合う時、「治そう」という考えだけでは、どうにもならない。帚木さんが逃げ出さずにやってこられたのは、40年前に出会った「ネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)」という言葉に支えられたきたからだ。。
「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、
どうにも答えの出ない事態に直面した時、性急に解決を求めず、不確実さや不思議さの中で、宙づり状態でいることに耐えられる能力、を意味する言葉だ。
もとは19世紀の英国の詩人キーツが、詩人が対象に深く入り込むのに必要な能力として使った言葉だった。
ネガティブ・ケイパビリティによる処方を、帚木さんは「目薬・日薬・口薬」と言う。
「あなたの苦しみは私が見ています」という目薬、
「なんとかしているうち、なんとかなる」という日薬、
「めげないで」と声をかけ続ける口薬。
患者は難しい状態にあっても、なんとかこれでやり過ごせる。
人間の復元力は、早さとは異次元の所で発揮されるから、早さばかりが頭にあると、つまずきやすい。
人は「自分の脳みそで考えて解決しないといけない」と凝り固まるところがあるが、それはせっかく晴れかけた空をかき乱すようなもので、成り行きに任せた方がいいこともある。
痛みを嫌なものとして払いのけようとすると、そのたびに痛みが堪える。痛みというのは、心理的なものも大きい。訴えるたびに痛みを感じる回路が黒々と太くなるかのようだ。
痛みは「見せず、言わず、悟られず」、淡々と日常のことをこなしていた方が楽になることもある。
社会の問題に向き合う時も、ネガティブ・ケイパビリティは役立つ。
「みんなが言うから自分も」という付和雷同を慎み、待てよ、と踏みとどまる。極論に走らず真ん中を見通すための、知性と歴史観を持つことが大切だと思うと、帚木さんはいう。
その翌日(10日)の朝日新聞に、俳人の夏井いつきさんの記事があり、そこにこんな言葉を見つけた。
「俳句は私の命薬(ぬちぐすい)」。
おいしいものを食べる、美しいものを見る。
人の優しさに癒やされる。
そういう気持ちが良くなること全般を指す沖縄の言葉に「命薬」がある。夏井さんは、この言葉を知ったときに「それだ、それだ」と思ったのだという。
目薬、日薬、口薬、そして命薬。
自分の心に素直にして生きることが、何より免疫力を高めることになる。
(帚木蓬生さん)