日浦ねえさんの知られざる話 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

クラブハウスで、「日浦ねえさん」はすっかり有名人だ。

早朝の「あさんぽ」ルームでは、モデレータを毎朝務めている。

藤本えりさんの絶妙なサポート役だ。

小料理屋かカフェに見立てたルームも開く。

昭和歌謡の朗読や日本昔話の朗読も、聞かせるものがある。

クラハ界の市原悦子と、ボクは呼んでいる。

本業は、整理収納アドバイザー。

暮らしやすい家のサポートをしてきた。

 

日浦さんがは、実の親の顔を知らない。

どこで生まれたかを知ったのは、大人になってからだ。

養父母に育てられた。

中学の時、父と母はO型なのに、自分はAB型。

「血液型なんていいかげんなもの」と母ははぐらかした。

24歳で結婚し、妊娠したとき、「私を産んだときはどうだった?」と聞いたら、母はうやむやに答えた。おかしいと思った。

いつも、人と関わるとき、距離を置いてきたのは、そんな境遇で育ったからかもしれない。

 

生後7ケ月過ぎの写真しか残っていない。

実の母は失踪した。

3人姉妹の末っ子。父一人では育てられず、引き取られた。

母のおっぱいを飲んでいたのに、ある日突然、大切な人から引き離された。「憎悪の念」を持ったこともあったが、思い出したくないこととして封印していた。

クラブハウスと出会って、日浦ねえさんは変わった。ここでは距離感を取る必要はなかった。自分も知らない自分に出会えた。

「みんなからOKをもらっているような気がしてきた」

 

自分の経験を踏まえて、日浦さんは思う。

「母親は、ただ環境でいてやりなさい。子どもを暑さから守り寒さから守り、美味しいものを与え、ただ子どもの感動するものを一緒に見ながらただただ、そばにいてやればいい」と。