月刊『致知』12月号の対談を読んで、深く感銘を受けた。
作家の宮本輝さんと、和久傳の大女将、桑村綾さんの対談だ。
2人は30年来の知己らしく、互いのことを深く知っているからこそ
含蓄が滲み出る内容だった。
綾さんに会いたくなって、メールした。
そうしたら、その翌日だけ都合がつくと返事が来た。
80歳という年齢が信じられない多忙を極める綾さんと、
奇跡的に会うことが叶った。
その日、一人ランチをする予定だった薬膳イタリアンの店「ルーデンス」にご案内した。田淵シェフも、いささか緊張気味だったが、彼の創意工夫を凝らした料理を、綾さんも喜んでくださった。
老舗の料亭がひしめく京都で、京丹後から出て来た新参者が、
誰もが認める店を築き上げるまでには、
並大抵でない苦労があったに違いない。
だが、綾さんは「ピンチが来るとワクワクする人」。
苦難にまさる教師なし。苦難がなくなったらそれをまた求めていく人だ。
そんな綾さんでも「死んだら楽やろな」と思うことがあった。
その時、支えになったのが八木重吉の詩だった。
「死ぬことが出来ぬほどしつこくゆけ」
綾さんは、重吉の詩を読んで、心に誓った。
「自分がたまらなく好きだという風に生きていきたい。精一杯苦しさに向かっていきたい。荒波強風に向かって突進していきたい」
すごい覚悟を決めたものだ。
荒波を受けようと、強風で前に突き進まめなくても、もろともせず、
今日の和久傳を育て上げた。
そして、現状に満足せず、常に新たな仕掛けも考えている。
年明け、新たなブランドを立ち上げる。
宮本輝さんは、25歳から長年パニック障害に苦しんできた。
電車に乗るにも勇気がいった。勇気を自分の心から絞り出す。
心の力のすごさを実感した。
「悪いことが起こるのは、思いがけない善いことが訪れるために必要な前段階」だと気づかせてくれた。
さらに、芥川賞を受賞した翌年、32歳で肺結核を患った。
その時、尊敬する方から「長き将来にあっては、今のご静養が、偉大なる作品の源泉になりゆくと信じています」と葉書が来た。病気でなく静養という言葉が励ましとなった。
同じ出来事に直面しても、心の持ち方一つで、見える世界は180度変わると、綾さんも賛意を示す。
いつ終わるとも計り知れないコロナ禍で苦しんでいる人も多いと思うが、2人の対談を読むと、苦難を乗り切る勇気と知恵が湧いてくる。
(綾さんと奇跡のデート)
(田淵シェフも交えて)