きょうは、内外情勢調査会川口支部で講演してきた。
川口は、いまも「鋳物の街」として知られている。
昭和の時代、工場の屋根から突き出たキューポラ(鉄の溶解炉)は街のシンボルだった。
そんな川口を舞台にした映画『キューポラのある街』(1962年公開)は、吉永小百合を世に知らしめた作品だ。当時17歳の吉永さんは、ヒロインの石黒ジュンを好演した。
ジュンは、鋳物工場の溶解炉(キューポラ)が立ち並ぶ埼玉県川口市の鋳物職人の長女である。何事にも前向きで、高校進学を目指すジュンだが、父が工場を解雇されたため、家計は火の車だった。高校進学を取りやめて、就職を決断するジュン。
北朝鮮への帰還問題で苦悩する朝鮮人の一家や、貧しくとも力強く生きる人々との交流を通じて、ジュンは、自立して働きながら定時制で学び続けることに意義を見出す。
ボクは、かつて吉永さんにインタビューしたことがある。その時、事前に読んだどの資料にも、これまで最も印象に残っている映画は『キューポラのある街』と書かれていた。にもかかわらず、同じ質問をした。
吉永さんは、かすかに唇を動かしながら、なかなか答えようとしない。
その間13秒。ついに待ちきれなくなったムラカミは「キューポラのある町ですか」と答えを言ってしまった。なんともお粗末なことになったわけだが、その13秒、吉永さんの脳裏にいろんな想念が湧いていたことだろう。そのエピソードを紹介したら、みなさんに受けた。
この日、時事通信社から新装版が出た『澁澤栄一』が配布されていた。榮一の四男の秀雄が昭和40年に刊行した書籍のリメイクだ。
1万円札の顔に決まり、にわかにクローズアップされている榮一。
榮一は、いまの埼玉県深谷市の出身だ。
ボクも、渋沢の孫の鮫島純子さんの「どんなときにも、なにがなんでも有難う」の想いを紹介した。
(昭和30年ごろの川口)