楽都郡山で種まき | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

福島県郡山市は「楽都」と呼ばれる。合唱、器楽、学校音楽などの分野での活動や、勤労者音楽協議会(労音)の企画などにより、世界的な音楽会が続き、地方都市には珍しい動きとして、「東北のシカゴから東北のウィーンへ」などと、マスコミの注目を集めてきた。

昭和39年の「十万人コーラス」運動。毎月第3金曜日をコーラスの日とし、街頭でコーラスを歌い、広めるというもの。また昭和40年には、「二十万人コーラス市内パレード」も実施された。

これらの活動は東宝映画から注目され、暴力のまちから音楽のまちへと生まれ変わる姿を描いた「百万人の大合唱」として映画化された。

昭和49年には、当時の日本では最大規模となる野外ロックコンサートが開かれた。実現したのは、20代・30代の地元の若者たちの情熱。このコンサートは、その後の日本のロックシーンに大きな影響を及ぼしたといわれている。出演者は、内田裕也、かまやつひろし、上田正樹、沢田研二、山下達郎…。そして、トリを飾ったのは、オノヨーコ。この日のために作った新曲「夢を持とう」で、「一人で見る夢は夢で終わるけど、みんなで見る夢は必ず実現する」とエールを送ってくれた。郡山市が音楽都市となった原動力は、こうした市民の音楽を愛する力だった。

この郡山の音楽に込められ想いを未来へつなげるため、平成20年3月24日、郡山市は「音楽都市」を宣言した。「楽都」と呼ばれるゆえんだ。

その楽都郡山で、昨日、「種まき」してきた。

時事通信社主宰の内外情勢調査会の講演。郡山支局長の青木孝聡さんは、1970年の富山生まれだそうだ。「ボクが小学生の時に、村上さんは富山にいらしたんですね」と。時代は巡る。

講演後、社労士の仕事をしている女性が声をかけてきた。「大丈夫ということばは、相手を遮ることにもなるから、使い方が難しい」と。確かに言うことはわからないでもないが、声のトーンや表情で遮ることにはならないと思う。眉間に皺が寄る癖があったので、笑顔笑顔というと、笑ってくれた。ステキな笑顔だった。「きょうは、温かな気持ちになる講演、有難うございました」と声をかけてくれた男性もいた。

こちらは、楽都郡山に相応しい中央公民館多目的ホール。

なかなかに環境の良い素適なホールだった。

ここで、6月29日に音楽イベントを企画中。

詳細は、いずれ発表する。