論語知らずの論語塾27~友、遠方より来たる | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

論語塾に来て、声を出すと身も心も温まる。

論語は、素読がつきものだ。声に出すことで、頭に入っていく。

美しい洗練されたことばは、声に出しやすく、頭に入りやすい。

論語は、奈良時代は、教養人だけのものだった。

平安時代に入って、女官たちも学んだ。

枕草子にも論語の記述がある。

論語は、江戸時代に入って、一気に広まった。

庶民が寺子屋で学び始めたからだ。

文字が読めなくても声に出して覚えた。

とにかく声で身体に沁み込ませていった。

かつて細川護煕さんにインタビューしたとき、

こう言われていたのを思い出す。

「幼い頃、素読をやらされるのが嫌でしかたなかった。覚えが悪いと、父に棒で叩かれた。意味もさっぱりわからなかった。だが、大人になって章句を反芻すると、あーそういうことだったのかとわかる」

素読とはそういうことなのだ。

この塾にはプリントしたテキストがない。

安岡塾長の発することばを反復するだけだ。

初めて触れる、それも難解なことばだが、みんな声を合わせていると、

心も一つになれる。

 

きょうは、福島県郡山市から、わざわざ来てくれた人がいた。

雪の中、早朝出なければならず、二の足を踏みかけたが、

来てよかったと言ってくれた。

きょう、章句の中で「徳」の話が出てきたのだが、

「あればあるなり、なければないなりの徳をつみなさい」という母のことばを思い出したそうだ。

ボクのラジオを、ずいぶん前から聞いていたそうで、

しんどいときに、励まされたという。

「村上信夫情報」を調べていて「論語塾」を発見し、

思いきって、出てきたのだ。

ラジオの友あり、遠方より来たる。亦、楽しからずや。
 

 

(気の強い娘が論語をなぜ学ぶのか知りたくてきたという

 お母さんの話を照れながら聞く狩野さん)

(はるばる郡山から来てくれた石本法子さん)