(撮影・鶴崎燃さん)
小堺一機さんと対談してきた。
ブラウン管の中と同じ、人をごきげんな気持ちにさせる人だった。
人をごきげんにさせるということは、本人がごきげんだからだ。
きょうも、終始、爆笑続き。人を楽しませる天才だ。
小堺さんをごきげんな人にしたのは、家族の存在が大きいと思う。
小堺さんは、失礼ながら、上を向いた大きなお鼻の穴がトレードマーク?
その鼻は、普通ならコンプレックスになりそうだが、
祖母が「お前の鼻には運が入るね」と言ってくれて鼻高々になった。
小堺さんは、色弱と診断され、デザイナーの道を諦めたとき、
父が「いいじゃないか。人と違う色が見えて」と励ましてくれた。
小堺さんは、12年前、がんを患ったことがある。
その時も、「なんで自分が?なんで?」と思い煩うことはなかった。
宮本武蔵の書いた『五輪書』にある「水を本として」をひも説き、
方円の器に従う水になればいいと気持ちを切り替えた。
自分でも「ごきげん」になる術を心得ている。
ちょうど1年前のきょうは、母の通夜だった。
突然の母の死を受け止められないまま1年が過ぎた。
20歳で、一機さんを産んだ母は、子ども扱いしないで育ててくれた。
大人が見るような映画によく連れて行ってくれ、
彼の素朴な疑問にも、きちんと耳を傾けてくれた。
「映画の最後にENDが出るのはどうして?」と聞くと、
「人生にはエンドマークが出ないのよ」と答えてくれた。
まさに、母は、エンドマークもつけずに逝ってしまった。
ちょっとせつない話も交えて、あっという間の対談となった。
「楽しかったです」と小堺さんは、ごきげんな表情で次の場所に移動して行った。
対談は、元日発売の『月刊清流』2月号に掲載予定。