6月27日、ワクチン接種の2回目を受けた。場所は前回同様、車で5~6分のところにある市の保健センター。今日の予約は、単純に1回目予約日時の3週間後と初めから決められている。カミさんも私もそれで不都合はなかったので、変更はしなかった。

 

前回同様、市側の対応は懇切丁寧で、トンチンカンな高齢者の言動にも優しく誘導してくれていた。今日の対象者は全て接種2回目の高齢者で、係員もそうだが、受ける高齢者側も多少勝手が判っているためか、さすがに1回目よりスムーズな進行だった。

 

ただ、接種後の待機時間の差でカミさんには気の毒した。疾患の申告がなかったカミさんは15分だったが、疾患のある私は30分になったからだ。文句も言わず、明るく応じるカミさんには常に感謝、感謝だ。そう、私にとってワクチン接種もカミさんとの楽しいデート感覚なのだ。

 

こういう接種では、マスコミが要らぬ情報を拡散させるために、多くの人が副反応と言われるものに対してかなりナーバスになっているようだが、形振り構わずネタになるものにはなんでも食らいついてくるマスコミと言われる種族の飯のタネでしかない価値のない情報ばかりだから、世の中の善良な市民は無視するようにしてほしい。

 

あの種族は、後先を考えず、世の中への影響も意識せず、ただ自分たちの利のためにだけで動いている連中だ。世の中に対して何の役にも立っていない。ああいう連中は死しても天国に行けるはずがない。とにかく、ワクチン接種と言えば副反応について騒ぎ立て、感染拡大防止の施策ならばすぐに水商売を映すしか能がない先進国日本のマスコミなのである。書いていても胸糞が悪くなる。

 

我が街は、泉州の北部にあり、市制としては大阪では古い方で、かつては短繊維織物で栄えたらしいが、今は衰退の一途を辿る小さな自治体で、今回の接種事業においてもその体制づくりにかなり苦しんだように推察する。しかし、泉州の南部にある、ふるさと納税で悪名を高めたあの大阪の恥のような自治体と違い、わが街はじつにまじめな市で、誰かに自分の住所を告げる時に恥じ入ることはない。ただ、名称に同じ「泉」の字が入るため、そのどこかの市と隣り合わせのように言われることが多く、やや憤慨である。

 

さて、あまり問題にしたくはないが、この日記を読んでくれる人が参考にするかもしれないので、2回目接種後の私の体調変化についてレポートを書くとする。接種後12時間近く経った今の状態としては、前回同様に注射した腕の付け根、つまり左肩が痛む。でも、その痛みは前回よりも軽い。前回は医薬品の服用無しでも翌日の夜には感じられなくなったが、今回はそれよりも解消が早いかもしれない。

 

頭痛や発熱は今のところない。食欲もあり、夕食はしっかり食べた。ついうっかりと晩酌で禁じられている酒類(ビールを標準缶の7割ほど)を飲んだが、体調に変化はなかった。1日以上経過して発熱するケースもあるらしいので簡単に結論を述べることはできないが、私の場合、今後も大きな変調はなさそうだ。カミさんも寝る前に異常なしと言っていた。

 

今回、私への注射を担当した医師は、自分が経営するクリニックで自分を含めてスタッフ全員が2回接種を終えており、事後に血液検査をしたら全員に抗体ができていることを確認したと言っていた。このワクチン接種が効果のあるものだということを強調したかったのだろう。その言を信じようと思う。

 

前にも書いたが、受けるかどうか迷っている人が多いようだ。なぜなのだろう。怖い? 受けない方がもっと怖いだろう。選択は個人の自由だというのか。今回のような多くの死者を出している疫病において、集団免疫体制の構築は個人の自由よりも優先されるべきものではないのか、と言いたい。受けないという者は日本から出て行ってもらいたいとも思う。接種拒否者への差別はあってはならない、なんて人権論を言うのは、それこそ反社会的だと考える。ちょっとラジカルな発言だが、私の本音である。

 

今回のワクチン接種が本当に健康体に無害で、且つ有効的なものであるとは言い切れないかもしれない。しかし、今は社会を、個人を守る手段はこれしかないのだ。ワクチンの守備範囲はかなり広く、変異株にも有効性が認められている。だったら、みんなで進むしかない。受けなければ、感染し、また誰かにうつすことになる。是非受けて欲しい。

 

体内に有効な抗体が形成されるにはワクチンを受けてから約2週間必要と言われている。それまでは「じっと我慢の大五郎」だ。その後も、沈静化するまでは感染対策を怠ってはいけない。

6月6日、15時20分に家を出て、車で5~6分のところにある市の保健センターに向かった。用件は、言わずと知れた新型コロナウィルス対策の決め手となるワクチンの接種だ。

 

南大阪、泉州にある古い小さな町に私はカミさんと住んでいる。しっかり高齢者に分類される。世間ではもう高齢者の25%程が第1回目の接種を済ませたと聞く。我が夫婦も本日、その仲間入りをした。

 

思えば、予約から苦労した。選んだ接種会場は市の保健センターに設置される集団接種会場。予約開始日の5月1日、カミさんと二人で手分けして、電話かけまくり作戦だった。私は一番初めにPCでネット予約を狙った。しかし、あっという間に受付完了となった。

 

我が街は、ご多分に漏れずに高齢化が進んでおり、デジタルインフラの立ち遅れ感があるように思われる、人口8万人に満たない、狭く、ちっぽけな街だ。地場産業は毛布など短繊維織物だが、既に斜陽化して久しい。小さな工場が散在していたが、そのほとんどが廃業し、所在地は駐車場やマンションに姿を変えてきた。ゆえに、市の財政はとても潤沢からは程遠いものだ。だから、IT絡みの予約は枠を狭めていたようだ。

 

PCネットでの予約は諦め、電話作戦に切り替えたが、話し中や混み合い中のアナウンスのみで、何度かけてもつながらなかった。そのまま、夕方になり、初日は未達成で終わった。でも、LINEにある市の情報では予約枠はまだまだ空いているという。要するに、応答可能なライン数を減らしているからこうなるのだろう。

 

二日目も朝から電話作戦。この間に、毎月通っている「かかりつけ医院」にも電話をかけたが、呼び出してはいるが応答してくれない。恐らく、しがらみで予約枠は当初から既に固まっていたのだろうと想像できる。昼食時も食べながら夫婦で電話をかけまくっていたら、つながった。オペレータの声を聴いたら何とも言えない嬉しさで、カミさん特製のオムライスがのどに詰まりそうになった。

 

電話がかからない恨み、つらみを言うことは控えた。それよりもつながったことに感謝して、明るく穏やかに申し込みをした。私は、たぶん、段取りや要領がかなり良い方だろう。その私でも、カミさんと二人分を申し込むのに5分かかった。その辺の年寄りがいくら頑張ってもその2~3倍はかかるはずだ。

 

回線数を減らし、且つ、申し込みに必要な要件が結構あるために時間がかかって、つながらないのは当たり前だなと感じた。カミさんと私は、お互いの携帯電話(スマホ)に残されている通話回数の記録から夫婦で合計1000回以上かけたことが判った。

 

なんでも楽しんでやれ、というのが私の信条だ。カミさんもこの予約作戦を楽しんでいたに違いない。だが、世の中の普通の高齢者家庭だとこうはいかないと思う。

 

LINEで事前に情報を仕入れ、市の予約窓口のURLをショートカット化して、受付開始のその時を待つなんて、その辺の爺ちゃん婆ちゃんにできるはずがない。本当に高齢者向けの予約受付なのかと、市の姿勢に首を傾げた。しかし、最もずるいのは政府だろう。なぜ、もっと細やかな指針を策定しなかったのか、その丸投げ体質に少し怒りを覚えた。

 

そして、ひと月以上経った今日、接種を受けた。思えば、我が家は昨日から、この接種を軸に回っていたようだ。カミさんと私にとっては近来で最大のイベントだった。

 

接種会場での係員の対応は良かった。丁寧で、親切で、優しかった。そう、「お年寄り」を労わる姿勢に徹していた。ゆっくりと大きな声で案内してくれた。なぜか、少し腹が立った。でも、笑顔で応えた。

 

隣接する市の有料駐車場に留めたが、無料だった。持参すべきものの中には上履きがあった。建物の玄関口で履き替え、履物は袋に入れて携行した。注射は思っていたよりも痛かった。上腕の肩に近い部位にされたので、暫くすると肩が傷み始めた。恐らく明日も続くだろう。15分間の待機時間を含め、40分ほどかかった。

 

2回目は私の周囲でも発熱する人が多いようだ。少しは覚悟しよう。我が街では、1回目の日時が決まると自動的に2回目も決まる。きっちり3週間後の同じ時刻だ。翌日(28日)は年次有給休暇を取って休むことにしている。

 

実は、明日(7日)も休む。なんか、私はこの状況を楽しんでいるような気がする。うん、確かに楽しんでいる。

改めて言うまでもないが、歳をとると必ずと言っていいほどついて回るものがある。物忘れだ。年寄りはこの物忘れと如何に対峙するかが極めて重要で、思い出すことがボケ予防の鍛錬になると信じている。しかし、なかなか思い出せずに諦めてしまうことが増えてきた。何でもないこと、いつも口にしていた言葉が、ある時急にどこかへ隠れてしまい、一向に出てこない。そんなことが増え始めている。

 

この身の周辺やテレビなどで、言葉や知見が次々と出てくる年配者がいると、本当に羨ましくなるし、自分の劣化して行く頭脳を何とかしなくてはと焦ることもある。しかし、よくよく考えると、少しぐらい劣化しても、それでようやく「人並み」になったのだということだろう。そう思うようにしている。

 

よく話すことだが、歳を重ねるごとに薄れて行く記憶に対しては、私は次の2策で対処しようと思っている。一つはセットポジションを決めること。さらに、もう一つは備忘録をつけること。

 

セットポジションとは、しまうところを決めること。切符や定期券、財布、鍵、携帯電話など、身の回りのものは必ずここにしまうのだとセットポジションを決め、絶対にその場所以外には置かない、入れない、しまわない。重要なことは、絶対に、だ。徹底させることが大切なのだ。ちょっとだけ、一時的に・・・と、処理を先送りすると、ほとんどが「そのまま」となる。

 

よく、駅の改札機の前で切符を探す姿を見かける。実に愚かしい光景だ。そういう人はいつも同じことを繰り返しているはずだ。さらに、そういう人は先を読むことなどほとんどできないだろうし、それが重要だとも思っていないだろう。ま、それでも生きられるが・・・。私はそういう年寄りにはなりたくない。

 

備忘録とは、言わずもがなで、メモだ。しっかりと、つまり、きっちりとメモをすることが大切だ。さらに言えば、どこにメモをしたかが重要だ。書くには書いたが、どこへやったかわからない、という人がいる。書くことで頭の中を整理をし、記憶を新たにすることはできるが、書いたことで生じる安堵が逆に記憶を霞ませ、頭の中で姿を消してしまうこともある。そうなるとメモをしたことが仇になる。

 

だから、メモはどこに置くかを徹底させる必要がある。つまり、前述のセットポジションと対なのである。私は、一つの方法を徹底させている。それはメモを1冊にすること。そのメモは各葉が外れないこと。絶えず携行すること。携帯電話のメモが便利なものであればそれを利用するが、今のところ、便利なアプリケーションに巡り合っていないので、やはり、ペンで紙に書くことを選択している。でも、いずれはより便利で正確なものが現れるであろう。それを楽しみにしている。

 

ということで、セットポジションと備忘録を武器に、私は今後も老化に抗っていきたい。

この冬は初めにラニーニャ現象の影響で冷え込むだろうとの予測があったのだが、ラニーニャも早々に姿を消し、総じて暖冬であったと言えるだろう。しかし、気温の振幅が大きく、日本海側の豪雪など厳寒の記憶が強く残っている。ここ数年、暖かい冬が続いていたので、日本全体が雪害の深刻さを忘れていたようだ。

 

米国では南部でも大雪に見舞われたと聞く。こういうニュースを聞くたびに地球が温暖な方へシフトしていることが実感できる。そのうちに海面上昇で日本のフラットな土地の4割が失われるかもしれない。さらに、海水温の上昇は気流の変化を誘導し、大型の低気圧などの大量発生やゲリラ豪雨など異常気象がますます日常化してくるだろう。

 

怖い。何とかしなければ大変なことになる。いや、もう既になっている。そんな中で、脱炭素など威勢の良い言葉が飛び交っているが、実現性はまだまだ低く、「ストップ温暖化」は困難を極めるだろう。

 

その大きな理由は米露中のエゴ政策だ。特に露中のなりふり構わぬ唯我独尊主義に対し、あの史上最低な愚劣リーダー、トランプ前米大統領がアメリカファーストを唱え、多くの米国民の共感を得たこと自体、世界の脅威に他ならない。現大統領のモラールを信じたい。

 

さて、そんな暖冬であるが、この冬も私の愛用の湯たんぽは健気に私の睡眠をサポートしてくれている。感謝、感謝だ。

 

寒さで寝られないという日はない。人はかなり寒くても、どこかで温かさに触れられると寒さを凌げることができる。カイロや湯たんぽはそういう点で素晴らしい暖房具だと思う。ストーブなどの裸火による火災の危険もないし、鉄の酸化による酸欠も問題になるオーダーではない。低温やけども適正な使用で防ぐことができる。この両者の組み合わせは気温によって自在に変えられ、最強無敵だと思っている。

 

特に私の湯たんぽは塩ビ製で、湯量によって体積を変えるため、あてがう部位を変えたりして気温の変化に対応できる優れものだ。もう20年近く使っている。経年劣化も進んでいるのだろうが、今のところ目視では認められず、不具合は全く起きていない。もちろん、それなりに気をつけて手入れもしている。

 

今、71歳、物を大切にするという心構えが出来ていて当たり前の歳だ。この歳になるとこのような長年愛用している品物は結構ある。特にステーショナリーは長持ちするし、なかなか捨てられないのに気に入ったものを見つけると衝動的に買ってしまうから増える一方だ。そのうちに断捨離をと思いつつ、今日もペンが一本増えた。

 

だが、ステーショナリーなどは使用する頻度が低い。気が向いたら、たまに使う程度だ。靴やバッグもローテーションの中での使用だからさほど傷まない。それに比べてこの湯たんぽは、毎年3ヶ月以上も活躍する。この間、使わない日はない。それでもほとんど傷んでいない。実に優等生だ。

 

気に入ったものにはニックネームをつけて、さらに親近感を持たせる私だが、この湯たんぽにはまだついていない。足蹴にされてもつくしてくれるものだけに、私の方が臆している。しかし、本当にありがたい存在だと思う。今夜も添い寝をしてくれる。ありがとう。

ミャンマーでクーデターが勃発した。アウン・サウン・スー・チーさんを始め、多くの民主主義者が拘束され、政府はまたも軍部によって支配された。後進国であればあるほど、武力を持つ軍部は、自分たちが上位であり、あらゆる場面で優先されなければならないものであると思っているようだ。

 

そこには「力」の論理のみが正当で、人類が長い年月をかけて育んできた「他の尊重」、「多様性の容認」という理念は相いれない野蛮な姿勢しかない。まるで、ついこの間まで米大統領の地位にあったあの愚劣な男を示しているようだし、ロシア、中国、北朝鮮などで行われている「独裁」に他ならない。

 

ミャンマーという国は世界の中でもかなり貧困で、立ち遅れた国だ。後進国によくありがちな政商が闊歩し、利権の争奪が日常的に行われていた。特に軍部は特権階級として、国家予算の大半を独占し、その多くは一部将軍の私有財産となり、国の繁栄を妨げ、国民に貧しい暮らしを強いてきた。

 

国が成長し、豊かになるには産業の育成が不可欠で、そのためには外資を導入し、企業を生み、国民の雇用を確保し、経済を確立していかなくてはならない。政情を安定させ、治安を向上させて、インフラを整備し、物価を安定させ、外国企業が安心して進出して来られるようにするべきだ。その治安の向上には警察力や軍隊は必要だろう。だが、それはあくまでも文民による統制が必須で、ミャンマーのような国ではまだまだその段階ではないことが今回のクーデターで分かった。

 

ほぼ5年前にスー・チーさんが上下両院で過半数を取って民主主義政権を発足させ、ミャンマーの民主化は大きく前進した。そこで、安い労働力を求めて世界中から多くの企業が進出した。わが国も商社はもちろんのこと、あらゆる産業から400社余りが現地に法人を立ち上げている。それは、民主化が進み、政情が安定し、治安が向上してきたと判断したからだ。

 

その中で、昨年の総選挙でスー・チーさんが率いるNLD(国民民主連盟)が圧勝した。すると、軍部に有利な現行憲法が改定される可能性が見え始め、完全に一枚岩ではない軍部が焦り、今回のクーデターになった。

 

しかし、武力を持った組織が政府の中枢にある限り、その国は野蛮な後進国であると言わなければならず、その国で操業を続けることは軍部政権を助長することにつながるため、わが国の企業は直ちに操業を止め、一時休業化するべきだろうと思う。国際社会による経済制裁も強化して、一時的ではあるがミャンマー国民にさらなる苦痛を与えることにより、軍部政権は正当化されないもので、国家は立ち行かなることを明確にすべきだ。

 

しかし、ここで立ちふさがるのは、またも中国である。軍部政権を支援し、経済活動を通して影響力の増大を図ろうとしている。ASEAN各国を支配して、各国に軍港、軍基地を築いて、さらなる南洋進出を企てている。どこまで厚かましい国なのだろう。世界の紛争には必ず中国が絡んでいると言わざるを得ない。

 

日本は中国に対して、世界の軍事政権に対してノーを言うべきだろう。ハイエナのような総合商社のなりふり構わぬ企業姿勢に呼応する必要はない。是々非々をしっかりと判断し、民主主義国家の先導者として、その態度を明らかにすべき時が来ている。

尻に火がついているのにまだ気が付かない者たちが都会を闊歩している。恐らく自分たちは罹っても重症化しないし、生命の危険はない、なんて思っているのだろうか。あるいは、マスクをし、手洗いとうがいをしていれば感染予防は十分で大丈夫だなんて思っているのだろうか。

 

職場の上司や親たちに見つからないように、飲み会もやるし、合コンやパーティもする。そして、夜にはそれなりにきちんと家に帰る。ただ、時計の角度を少し左に回しただけ。そういう者が増えている。

 

確かに重症化しにくいだろう。しかし、そういう若者や中年も、罹れば病院に入らなくてはいけない。無発症でもひとたび風邪などで体調を崩せば、確実に発症する。しかし、その時に入院する医療機関がなければどうする。診察もしてもらえないし、投薬もしてもらえない。いかに若さがあっても、生命の脅かされることは必至だ。そうなったらどうする。泣いても、わめいても、自分たちが招いた結果なのだ。医療崩壊。今、まさにそういうことが起きようとしている。

 

そして、自分たちが作り出した状況は、自分の親だけでなく、自分の好きな人の家族をも苦しめることになる。親しい友人の家族、お世話になった先輩、恩師・・・、みんなが死と直面するかもしれない。そうなったらどうする。すべてお前たちが招いたことなのだ、と神の声が聞こえてからでは遅すぎるのだ。もう愚かとしか言いようがない。

 

この感染禍を喜んでいる者たちもいる。アホな政党の委員長が首相と談判して一律に一人10万円ずつ配れるようになったと「お手柄」を誇らしげに言っていたが、雇用が保障されている大企業のサラリーマンや公務員などは、収入減少もなく特段苦しんでもいないのに金は入るし、在宅勤務と称して仕事をしなくてもいいとのんびりと家族サービスを楽しんでいる者も多いと聞く。実際、私のすぐ近くにもそういう者たちがいる。しかし、彼らは口をそろえて、「大変だ、我慢だ」などとほざく。いい加減にしろよと言いたい。

 

命を懸けてコロナと対峙している医療や福祉の関係者、感染の温床と言われて休業や営業時間短縮を余儀なくされているサービス業の人たちとそこに材料を納めている流通関係者、とばっちりを食ってイベントなど活躍の場を縮小せざるを得ないプロダクションや所属のタレント、歌手、プレイヤー、さらには開催が危ぶまれているオリンピックを下から支えているスタッフなど、本当に苦しんでいる人たちはかなりいる。

 

しかし、そういう人たちに手厚い補償をしてあげたくても、余計な金撒きをしたから原資が乏しくなってきて、十分にできない。金がないから、結果、市民に対する効果的な行動規制など、しっかりとしたソーシャルコントロールを断行したくてもできない愚かな行政と立法府なのに、なぜか偉そうにしている。さらにメシの種が十分にあって手当てが増えているマスコミなど、考えただけでもムカつく奴らが多いのには本当に腹が立つ。

 

ここは日本だろう。そう、どこかの国々とは違い、「ちゃんとリズム」の国のはずだ。しかし、どうもおかしい。感染禍の原因をばらまきながら素知らぬ顔をしているちゃらんぽらんな隣国を恐れているからか、または同盟国として頼りにしているのに、自国至上主義で、利己的で、傲慢なアホ大統領に盲従してきたからアホがうつってしまったのか。右を見ても左を見てもどうもいけない。しっかりして欲しいのに、党利党略にうつつを抜かす我が国の指導者たちが感染禍をさらに拡大させているのかもしれない。ヤバいよ、ヤバい。せめて我々庶民だけでもしっかりしなくちゃあ。

2021年が始まった。今年の干支は丑。1949年生まれの私にとっては生まれた年を含めて7度目の当たり年となる。

 

小柄で、落ち着きがなく、いつもチョロチョロしていた私は、よく「子の年生まれ」と間違われたが、実はかなりの「こって丑」だ。動きはスローで、かなり頑固だ。脇道は嫌いで、大路を進むタイプなのである。日本の有史以来、最も出生の多い年に生まれ、過当競争を闘ってきた一人だ。見た目以上に芯は強いと自負する。

 

そんな私が待ち焦がれた当たり年、これまでよく生きてこられたものだと自分を誇らしく思っている。やはり、癌は良くも悪くも私の人生を大きく変えた。あの癌がなかったら、確かに別の生き方をしていただろう。でも、酷な宣告を受け、辛い、苦しい日々を送る中で、私は様々なことを学んだ。

 

歩くことも、服のボタンを留めることもできなかった私が、カミさんをはじめとする家族、友人の励ましに支えられ、なんとか健常人と同じような生活を送れるまでに回復していることは、自分でも凄いと思うし、その根幹にあるものは感謝の2文字しかないと思っている。

 

今、世界は新型コロナウィルスの感染により、大きな危機に直面しており、人々は日々の暮らしに制限を受け、辛抱と我慢を強いられている。でも、辛抱も我慢も命がある証拠だし、十分に気をつけていれば危険はある程度回避できる。遊びに行けない辛さなど、戦争や死の病に侵されることから見れば何のことはない。そのぐらいの我慢すら出来ない奴が世の役に立てるとは思えない。権利の主張しか唱えない奴はさっさといなくなればいい、とさえ思うことがある。

 

新型コロナウィルスの感染拡大で、それまではできて当たり前だったことができず、多くの人の努力でようやくそれが再開できるようになった時、人はそのこと自体に深く感謝するに違いない。その気持ちを忘れず、ずっと大切にしてほしい。誰かの与力に、自分の幸運に、素直に感謝できるようになった時、人々は諍いや欺瞞をなくすことができるようになる。今がその好機かもしれない。

 

惜しむらくは、首相が、首長がアホなこと。彼らの行政力のなさが感染をさらに拡大させ、事の解決を遅らせている。3月には輸入ワクチンの広範囲な接種が始まるが、日本人への適合性に疑問が残る。大幅に遅れている国産ワクチンの開発を早める策をめぐらせてもらいたいものだ。

 

それと共に、こういう厳しい時も公費でひと儲けしようとする愚かしい輩がいるという悲しい現実をしっかり意識し、そういう輩を世の中から駆逐して行くことを皆で推し進めなければならない。

 

私はまだまだ頑張って生きて行く。そして、次の当たり年も迎えられるようにすることで、一人でも多くの人にこの貧弱な背中をお見せできるようにしたい。まだまだ、負けるわけにはいかない。愛しいカミさんのためにも・・・。

よく寝た。起床は14時10分。何も予定はなかったが、こんなに寝て、罰が当たらないだろうかと思ってしまう。母が生きていたらきっと叱られただろう。起床後に左目と首に痛みを感じた。

 

洗面し、一息つこうとテレビの前に座ったが、それぞれの痛みが強く感じられ、思わず声にすると、案の定、カミさんから「寝過ぎや」と言われた。私の自堕落な生活態度に腹を立てているのが窺える。よほど腹に据えかねていたのか、間髪を入れず、PCを観ながら、響きの低い声で、吐き捨てるように言ったのだ。

 

私はいつもと同じで、背を丸めて小さくなりながら、小さな声で「ごめんね」と言い、せっせと昼飯を朝食メニューで用意した。コーヒーを淹れ、ヨーグルトにブルーベリージャムを混ぜ、バナナ1本を取り出し、冷えた日本茶をコップに入れた。トーストの代わりに、昨日買ってきた「御座候」を1個、電子レンジで再加熱し、オーブントースターで表面を焼き直した。こうすると出来たてのような風味がいくらか蘇る。

 

朝食は必ず取る。薬を服用するためだ。私の服薬は毎食後にあるが、特に朝食後のそれは服用すべき全ての薬が勢揃いしていて、その日で一番重きをなす。昨日は通院日で、検査のために朝食は抜いて行ったが、検査後に病院内のカフェで朝食を取り、やはり服薬した。また、今日のように起床が遅いと、昼食後の服薬を省略するようにして調整する。夕食後の薬は朝食後のものに次いで重要だから省かない。

 

服薬については、一応の私見を持っており、また別の機会に書くとする。

 

あまりに痛いので左目を20倍の凹面鏡で観察すると、抜けた睫毛が瞼の裏に張り付いていた。私は、逆さ睫毛が酷くて、毎月、眼科クリニックに通っており、自宅でもある程度ケアができるようにしている。専用のピンセットで優しく取り除き、抗生剤の点眼薬を2滴差した。

 

頸椎は、上から2番目の関節に椎間板ヘルニアがあり、普段から気を付けているのだが、たまに具合の悪い状態になることがある。今回は、カミさんに言われた通り、寝過ぎが原因だ。いや、詳しく言えば、昨日の外出による疲れが原因で寝過ぎたのだが、寝ている時に寝返りがうまくできずに枕をずらして寝ていたためだろうと思う。

 

高齢になると、情けないことだが、非日常の行動は少しずつしていかなければいけないことを痛感した。首への対策としては、経皮鎮痛消炎剤を塗布して、従前から使用している頸椎用のサポーター(むち打ち症などに使用されるもの)を装着し、様子を見ることにした。あまりに傷みが続くとご近所の整形外科に行き、首の牽引をしてもらうことになるが、今回はそこまでには至らないと思う。

 

昨日のことをもう少し書こう。8年前に手術した膵臓癌の経過観察のための月に一度の検診通院日で、朝から長い時間を病院で過ごす。ほとんどは検査や診察の待ち時間なのだが、私はそれをあまり苦にしていない。好きな読書をして過ごすからだ。日頃は忙しさにかまけてあまり本を読めていない私には、これはとっておきの時間なのだ。ところが、昨日は、いつもなら遅れ気味の担当医の診察が逆に1時間も前倒しで終わり、通常は丸1冊を読む本が半分ほどしか読めなかった。

 

通院日のルーティンはほぼ決まっており、全ての検査と診察を終えて会計精算し、院外薬局で処方薬を購入したら、近くの商業施設内で散髪をし、薬局でばんそうこうなどを購入して、昼食をとってから帰宅するというのがほぼ毎回の行動パターンだ。

 

通院としては、毎月あるのが上記のほかに眼科と歯科で、そのほかに2年前に見つかった別の癌の経過観察が4か月に一度ある。それらの予約日は調整して重なることがないようにしているが、昨日は歯の通院が夕方に予定されていた。つまり、一日仕事で、帰宅は夕食前になる。

 

歯科は15時30分から始まるので、前の部が終わってからかなり時間がある。散髪までを阿部野橋界隈で行い、難波に移動してから昼食をとった。その後、ひとりカラオケで1時間費やし、行きつけの喫茶店でコーヒーを飲み、歯科医院には30分前に到着した。歯磨きをし、予定時刻に呼ばれて診療室に入った。

 

約1時間で治療を終え、次回の予約をして帰途に就いた。途中、高島屋の地下でカミさんの土産を物色中に、以前の仕事でよく訪れていた山口県岩国市にある酒造メーカーが売場キャンペーンをしていたので、その酒蔵の社長とつい話し込み、4合瓶を1本購入した。しばらくは読書しながらの寝酒として楽しめそうだ。

 

そんなこんなで、通院日をそれなりに楽しんだ。

 

しかし、大阪は新型コロナウィルス感染者の最多記録を更新中だ。大阪市内は人出がかなり戻っており、感染者が増えていることは容易に判る。のど元過ぎれば、ということなのだ。もうすぐワクチンができる、と思っているのか、春から初夏にかけての恐る恐るの外出態度では全くなく、開放感があり、手洗いとマスクをしているから大丈夫だろうという慣れが表面に出ている。その慢心が怖い。電車でも、私が乗った車両の窓はあまりあけられていなかった。

今までこういうところでは意見をのべなかったが、開票が始まったので、自分の考えを発することにする。
維新の業績は一定評価しているが、今回の大阪都構想に対しては反対で、投票権がないだけに友人知人に私見を述べてきた。
私は大阪市の生まれで、いつかは戻りたいと思っている。
今回、どうなるか判らないが、大阪市は無くしてはいけないと思っている。

とうとう冬が来てしまった。ラニーニャ現象の年は到来が早く、冷え込みもきついと言われているが、そのセオリーは例外なくしっかり実現するようだ。掛布団はかろうじて冬バージョンにしてもらえたが、衣服の準備は自分でしなければならず、コートなどは防虫剤のにおいがするままだ。重衣料もまだ入れ替えをしていない。

 

いつも思うことだが、衣替えのたびに我が家の貧しさを痛感する。衣装ケースにしまわなければならないから、臭くなるし、しわもできる。シャツなどは殆ど洗い直してアイロンをかけている。セーターやジャケット、コート類は風に晒すが、カミさんに頼んで2~3日バルコニーを占拠させている。実に面倒だ。ウォークイン クローゼットが欲しい。でも、我が家では無理だ。

 

私は、現役時代からの習慣で、安価なワードロープを数多く用意してローテーションさせている。その方が選び易いし、衣服も長持ちする。海外出張が多かった時の名残だ。現地ホテルのクリーニングでシャツを傷めてから、日数分を持って行くようになった。

 

旅支度の下手な私だけに、2週間ほどの出張だと72cmのバッグが複数必要となる。スーツが3着、靴も3足、移動用のカジュアルウェアも要る。2~3泊ごとに移動するから、荷造りと荷解きの繰り返しだ。

 

当時はそれで慣れてしまっていたから、問題はなかった。ただ、事前の準備と事後の片づけはカミさんが呆れるほど時間を費やしていた。当然ながら、現地でのプレゼンテーションとサンプルの用意、帰国してからの報告書作成と精算など、今ならばとても果たせないワークをこなしていたと我ながら感心している。

 

定年退職して既に11年以上経つのに、ローテーションの習慣はなかなか崩せない。アイテムに多少の変化はあるが、今も当時と殆ど変わらない数量を回転させている。そういうものをかなぐり捨てて今の生活だけを考えればいいのだが、歳をとることを受け入れたくないという感情が今もかつての習慣にしがみつかせているのだろう。判っちゃいるけど、止められない。

 

毎週、この週末には・・・と思うのだが、今日までの休みでは結局何もしなかった。尻に火がつかないとアクションが起こせない悪癖に呆れている。

 

さて、明後日あたりに大阪はかなり冷え込むようだ。せめてセーターだけでも用意しなくちゃあね。

カミさんに頼むしかないね。嫌がるだろうな。