最近また被災地の方を見学する旅行を頂きました。




依頼者の社長さんは、当然ですが、被災後1カ月ぐらいの時に


現地にボランティアにいっていて


その後の経過がみたいのと、


従業員にあの光景を少しでも見せたいという思いから


落ち着いた今、


社員旅行で被災地へ・・となったらしい。



被災地と言っても広く(我が茨城もそうですが・・)


場所の選定に私も悩んでおり、


1泊2日という日所にタイトな日程なので


依頼者の社長の希望しているのは陸前高田なんですが、


茨城からだとちょっと遠いんですね。




なので、名取とかで被災した自分の友人社長の


地震当日やその後1カ月ぐらいのお話とか聞かせてもらったり


東松島町の小学校とかにお花をもってお伺いし、


できれば少し触れるような形で勧めようかと考え中。




ホント改めて、あれから今、1年以上が経ちましたが、



私たちの住むここ茨城の内陸部で


特に震災の影響で命に別条はありませんでしたが、



私たちは今まで経験した事のないような被害を受け、


当時は皆気が滅入ってました。




だからこそ、阪神淡路の時とはまったく違い


非常に被災地の方々に親近感が湧いたのか、


この辺の私を含む暇な?個人事業主の社長は皆、


自分の家そっちのけでボランティアにいってた事を思い出します。





大袈裟に聞こえるかもしれませんが、


私たちは命があって儲けもんだ・・


とホントに今でもこの辺の人も皆思ってると思います。




最近も東電からの補償について知人の社長数人と話す機会がありましたが、


比較的酷い被害を受けた方は、


東電に対しての補償など一切請求していないケースが多く


ほとんど影響ない人に限ってやれ早くしろ?だの


もっとよこせだの言ってた気がします。

(あくまでも私個人の勝手な見解ですが・・)




私も今でもはっきりとあの日の事を覚えていますが、


地震後すぐに


震災前から意識のなかった祖母(当時まだ生きていた)の安否を病院に確認しに行き


その後実家へと急ぎオヤジの疲れ切った顔を見た時の安堵感というか、


良かった・・とりあえずまた一人身内が生きてた・・


といったあの感覚。



あの安堵感を一切感じれなかった人々が


一年以上たった今も、被災地にはまだ大勢いらっしゃるはずです。




私たち業者は、非常に難しい事になりますが、


そういった方の気持ちを少しでも汲めるように


旅行手配をしなければなりません。





願わくば、



悲しい感情ばかりではなくとも、


旅や旅行、 とは・・


感情を揺さぶられるような感覚を


常に伴うものであってほしい・・・



といつも思います。