前回は、『器が大きいということ~自由にものが言える雰囲気を大事にできる存在~』について、お話ししました。
今日は、『「オタク道」にまっしぐらに生きていこう~going my way ~』について、お話しします。
もう今年もあとわずかとなりました。
本当に早いものです😓
「年齢とともにはんまに早くなるんやなあ・・」
というのが正直な感想です。
若い頃、よく年配の人からこう言われたものですが、当時はピンときませんでした。
それがわかるような歳になったんですね。。😓
高校を出て県庁に入ってすぐに、本屋さんで見かけた本を買って、著者である徳島大学の学長さんのところへ毎週週末に押しかけるようになったことがありました。
「徳島県高度情報化推進懇話会」という団体のトップだった先生にいろいろと教えていただきました。
まだ8ビットのパソコンが出回り始めた頃、職場でもあまりパソコンを見たこともありませんでした。
その当時に、オンライン等ネット社会、テレワーク、そしてネット普及率100%の韓国で実施されていた個人番号、今の我が国のマイナンバー制度など。
先生にはいろいろなことを教わりました。
私は現在58歳になったところであり、このとき18歳でしたからもうちょうど40年にもなるんですね。。。😰
その40年も前には半信半疑であったことが、急速に先生の言われたとおりになってきて、職場であった県庁の100名前後の前でこのことを1時間あまりかけて自由研究で報告しましたが、大きな反響はありませんでした。
思えば、よくある職場の人間関係からうつ病になって、県庁の建物外へ転勤になり、赴任した保健所で残業していた34歳頃、職場の上司と話したことがありました。
「少子化による労働人口の減少により、経済的な危機が起こりうるそうですが・・」
このときの上司は後に県庁で部長級にまでなったことを、新聞で目にしましたが、当時は、
『少子化が原因でそんなことが起こるわけがない。保健所に飛ばされた人が何を。』
とまともには相手にしてもらえませんでした。
このことに関心を持ってくれたのは、県庁の転勤のときに猛反対して県庁へ抗議してくれた二人の人だけでした。
一人は地元徳島のある銀行の頭取さん。
もう一人は出たばかりの20代後半の国会議員。
「人を見える眼がないのか!」
結局、その後、私はうつ病を悪化させて、家庭を失ったことで二人には黙ったまま挨拶することもできず、転居して現在の徳島市へ編入しました。
それから難病をも患い、県庁を辞めざるなってしまい、10年以上もの歳月を、ただただ療養生活を送りながら過ごしました。
良くなってくる前の令和に入った頃、またここ2,3年の開業することに決めた頃、県庁時代の同世代を思い浮かべ私は、
「どれほど差が開いてしまったのだろうか・・・」
と考えて、本当に死に物狂いのような気持ちで過ごしてきました。
ですが、開業してから日が経つうちに現在の世の中や徳島のことをわかるようになればなるほど、
「どうしてこんなことになって・・・」
と今は驚くことばかりで😭
玉手箱を空けた浦島太郎のような気持ちなのかな?
「40年前のあの学長さんから教わっていたお話は、徳島はいったいどうなって・・」
と毎日思わないことはありません。
「なぜ、こんなになってしまったのだろうか?」
「あの流れから見れば徳島はもっと発展していたはずだ」
と、今はもったいないことだと本当に思っています。
『情けは人のためならず』
『一期一会』
ちょうど60年間勤められ、今年6月に県庁を去られた当時のお師匠様から私はこのことを身をもって教わりました。
58歳の今、70歳までの12年間は仕事に没頭しようと考えています。
そうしながら、
「自分にはいったいまだ何ができるのだろうか?」
ということを考えて生きていこうと思います。
まあ、今は思っていてもできないですけどね、なにぶんにも創業期ですから😂
12年後には祖先も亡くなってからちょうど700年でもあるし、良い節目にしたいなと思います。
それからは私は長年の夢である、大学へ通学して法律の勉強をするつもりです。。。😂
それまで仕事と空手の稽古、ただそれだけに没頭すること。
いろいろとできるほど私は器用ではありませんから、ただひたすら、いわゆる
『「オタク道」にまっしぐらに生きていこう』
と思っております😊
以上、今日は『「オタク道」にまっしぐらに生きていこう~going my way ~』についてでした。🙇
では、また土曜日にお会いしましょう🙋
次のブログも良ければまたご覧ください🙇
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