余談~『「千差万別」~法華経「薬草喩品」第五から「三草二木の喩え」~

 

 

今日はいつもとは違い、思いっきり信心くさいお話です。

 

お気に召さない方はご遠慮ください。🙇

 

 

前回は、『人はみんな貴い存在~「常不軽菩薩品」と宮沢賢治~』について、お話ししました。

 

 

今回は、『「千差万別」~法華経「薬草喩品」第五から「三草二木の喩え~』について、お話ししたいと思います。

 

 

 

法華経の「薬草喩品」という教えの中に、「三草二木の喩え」という説話があります。

 

 
 
「山にはたくさんの草木が生い茂っている。数数え切れないほどの大小様々なものがある。
 
そこへ天から静かに恵みの雨が降ってきたとする。
 
天は皆一様に雨を降らせるけれども、その草木の大きさなどによってその受け取れる雨の量は異なってくる。
 
この受けた雨により根も茎も枝葉も成長し、花咲き実を結ぶ。
 
降る雨は同じであっても、その恵みを受け取る草木は、その大・中・小それぞれの姿・形によって千差万別であり、仏さまの慈悲の雨は皆一様であっても、受ける衆生の機根はそれぞれである。」
 
 
『同じ出来事があったとしても、人それぞれにより受け止め方が違ってくるものであり、それは「千にも万にも」無数の数となるもので、誠にもって人それぞれ異なってくる』
という、有名な説話です。
 
 
「千差万別」が省略されて「差別」と言われるようになりました。
 
 
本来はこういう意味であって、人を誹謗中傷する意味ではありません。
 
 
同じことを教えていただいても、また同じ苦境に立たされても、その人その人によって受け止め方が違うことは「ごく普通のこと」なのだということです。
 
 
それは、どんな人もこれまでの過去の経過等によって今の状態や状況があるわけだって、このために人それぞれで受け止め方が違ってきますし、このことは仕方がないことだと思います。
 
 
私も今でも鈍い方だと人にも言われたりしますから。。😓
 
 
だから、卑屈になる必要などないし、また大いばりすることでありません。
 
 
「天(仏さま)は皆、平等に全ての人の幸せのために、教えの雨を降らす」
 
 
この雨を「法雨(恵みの雨)」と捉えるのか、また「世知辛い世の雨」と捉えるのか?
 
 
この受け止め方によって草木も、人も成長がまた違ってくるものと説かれているのです。
 
 
学校の授業で習った「諸行無常」
 
 
いつまでも変わらないものなど存在しません。
 
 
今は病気や障害を持っていたとしても、その状態は時間の経過とともに次第に良くも悪くも変化していきます。
 
 
大事なことは、
「その時その時の人の受け止め方」
です。
 
 
法華経では「全ての瞬間瞬間に原因と結果が存在する」と説かれています。
 
 
このことを「因果俱時(いんがぐじ)」と言います。
 
「全ての物事は何らかを原因とすることの結果であって、またその結果をどう受け止めて行動するのかによって今後の結果がまた変わってくるという、原因となる」と説かれています。
 
 
「結果は次の原因となり、その原因からまた結果が生じる。」
 
 
ここに「縁」「力」などいろいろな要素が「作」用することで結果が変わっている。
 
 
だから私たちは、「結果をどう受け止めて、またどう対処するか」ということによって、
 
「過去は変えられないけど、未来を変えることはできる!」
 
ということを教えられているのです。
 
 
「昨日よりは今日、今日よりは明日」と、私は10年以上の長い療養生活を「かたつむりの歩む姿」を想像して、ずっとボチボチ続けてきました。。。
 
 
1日に10センチしか進まずとも、1年では3650センチ=36.5メートル進むことができ、また10年では365メートル進むことができる!
 
 
これが1日1キロであれば、1年では365キロ、10年では3650キロにもなる。
 
 

365キロは私の住む、四国1周する半分の距離を超え、また3650キロは、日本列島の長さ(北海道の択捉島から沖縄の与那国島までおよそ3000キロ)を超えてしまいます。

 

このように想像しながら、コツコツと続けてきた結果、今、私はこうして曲がりなりにも社会復帰することができ、またなんとか毎日空手の朝稽古もそれなりに続けることができるようになりました。

 

 

でも、始めの頃の私を見た人は「いったいあの人は何をしてるんだろう?」という顔をしていたりしていました😓

 

 

今はそういうことはありませんし、これまでよりも少しずつですが、結果が変わってきています。

 

 

そうそう考えると、今年58歳の歳ではありますが、10年先がまた楽しみかなあ~と思えたりもしてきます😆

 

 

「最後に笑う者が一番良く笑う」とは確かフランスのことわざだったと思います。

 

 

「今、いろいろなことがあり、またそのことでいろいろな思いがあったとしても、ずっとそのままの状態でいることはない」ということを、仏さまは教えられています。

 

 

だから、「あまり人の目を気にしすぎることなく、(我が道を行く!)」で私は良いのではないかと思います。

 

 

人の目にはいかに映ろうとも、外に出て見ればお日さまやお星さまはきちんと見ていますので。。。😄

 

 

 

 

以上、『「千差万別」~法華経「薬草喩品」第五から「三草二木の喩え」~』についてでした。

 

 

 

では、また明日。。。🙋

 

 

 

(続く)