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 1991年に東日本ペプシコーラボトリングが製造した350ml缶である。このデザインも同年度で見納めであり、そして東日本ペプシコーラボトリングも翌年にペプシコとのフランチャイズ契約を解除する。東日本ペプシコーラボトリングがなぜフランチャイズ契約を解除されたのかはよくわからないが、この当時のペプシコの方針は「他社製品を売らずにペプシ製品のみを売る」というものであったので、その部分に抵触していたのだろうか。

 東海・関西のチェリオやカゴメはともかく、東日本ペプシが本当にそうであったかはいささか疑問ではあるが…。東日本ペプシコーラボトリングは社名を旧社名の東日本飲料に戻し他社からのOEM生産を引き受けるパッカーとなるが、同和鉱業が主体で設立された東北ペプシコーラボトリングに多数の社員を引きぬかれ、自社販売部門を失った影響は大きく、東日本飲料は90年代を乗り越えられることはなく消滅しその歴史を閉じる。