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 北海道は1968年からの販売と後発組であったが、地元資本が多く入る北海道ペプシコーラボトリングの営業がうまくいっていたためペプシボトラーの中では業績はまあまあだった。その北海道で、1981年にいち早くペプシチャレンジキャンペーンが始まり、この缶はその当時のものである。当時の北海道では「ナナハン」と呼ばれる750mlボトルをコカ・コーラのホームサイズと同価格で販売し、ペプシコも驚くぐらいの好成績をあげていた。壜が割安のため、250mlの缶製品はあまり売れなかった気もするがどうであろうか。
 
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他地域では2ピースのスチール缶に切り替わっていたが、北海道は1985年前後まで3ピース缶を使用していた。コカ・コーラにいたっては90年代まで250ml缶において3ピース缶を採用していた。「日本を美しくしましょう」の文言は70年代から引き続きまだ残っている。製造者ではなく「販売者 北海道ペプシコーラボトリング株式会社」になっている。なぜかというと、北海道においては缶製品の製造は別法人の「三省キャン飲料」が行なっていたためである。三省キャン飲料の由来は、おそらく北海道ペプシコーラボトリングの株主にも名を連ねていた「三省鉱業」から来ていると思われる。三省鉱業は道内で石炭の鉱山を経営していた会社だが、廃れる炭鉱経営からペプシコーラ製造業に乗り換えを図ったのかと推測する。
 
工場は三笠市にあり、「M」は三笠の頭文字である。この工場の建物は有名な建築家がデザインしたものすごく個性的な建物で、「三笠のペプシ」で通じる現地のランドマーク的存在であった。そして80年代後半から90年代初頭に北海道ペプシに吸収され、北海道ペプシ三笠工場となる。2006年に老朽化により取り壊されてしまうが、1972年の操業開始以来、北海道や北東北の地にペプシ缶製品を供給し続けた。