かつてはペプシコーラボトラーとしても活動していたカゴメ。そのカゴメのペプシ事業についての歴史を、前身の東海飲料も含めて書きだしてみよう。
 
1968年6月-静岡県・山梨県を販売エリアとする、東海飲料営業開始。本社工場竣工(レギュラーサイズ壜・220BPM)
1971年3月-ライン増設(レギュラーサイズ壜・320BPM)
1971年11月-カゴメ興産、東海飲料の株の75%を取得し経営権を得る
1973年3月-カゴメ富士見工場に炭酸缶製品工場竣工、生産開始(250ml・600CPM ※信越清涼飲料等にも供給)
1974年3月-東海飲料の全株式・営業権を取得し、特販事業部として発足
1974~75年-ペプシコーラジャンボ壜の製造を開始
1975年11月-東海飲料の全製造設備を譲り受けペプシ製品の製造開始、岡部工場開設
1977年1月-岡部工場の名称を静岡工場に変更
1978年12月-炭酸缶ラインを増設(250ml・600CPM ※富士見工場設備を移設と推測)
          壜ラインを統合。
1987年1月-静岡工場にPET製品生産設備を導入(自社製品のフルーツ村の生産も行う)
1990年4月-静岡工場PETラインに烏龍茶抽出設備を増設
1991年3月-静岡工場が1990年ペプシコーラ国際部門優秀品質賞受賞。アジア地域でトップの評価
1992年9月-ペプシ製品の製造終了
 
カゴメがペプシ製品の製造販売に関わっていたのはおよそ20年間であった。80年代初頭頃までのカゴメ製造の製品は確認できるが、1985年以降にカゴメが製造したペプシ製品は確認できていない。静岡工場で350ml缶を生産することもなかったし、末期においてはカゴメもペプシのボトラーをやめたかったのでは?と感じるところが多々あった。一方でカゴメ静岡支店長(事実上ペプシ部門No.1)は、90年以降のペプシの対日戦略の転換に対し「ペプシコがこんなに積極的な姿勢を見せたのは初めて。おかげで売上が30%伸びそう」とのコメントも残している。
 
この時期のペプシコの方針は、「他社製品を扱うことなくペプシ製品販売に注力せよ」というものだったので、カゴメはその方針に背いた結果フランチャイズ契約を解除されたのかもしれない。当時の静岡・山梨のペプシ自販機のラインナップは今となっては分からないが、もしかするとカゴメ製品が大量に入っていたのかもしれない。
 
カゴメ静岡工場はペプシ製品の製造終了後も改装を重ね、現在は野菜ジュースのPET製品を生産している。


顔アイコン
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250ミリ缶で、オレンジ、レモンライム、ペプシコーラ、あとマウンテンか、セブンが、あったかもしれない。

あとは、カゴメメニュー。


チェリオ中部時代名古屋市内、カゴメ自販機に、ペプシコーラが、一部入っていた。

チェリオ中部の350缶は、関西のロットのはず。

そう、3地域飲めたかな? 削除
2013/2/22(金) 午後 9:54 [ 愛知県のドリンクマニア ] 返信する