![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191204/22/noboruyuki2019/9a/09/j/o0175060214660973455.jpg?caw=800)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191204/22/noboruyuki2019/ab/0c/j/o0182059014660973457.jpg?caw=800)
1961年にアメリカのローヤルクラウンコーラ社が、日本の壽屋(現サントリー)と提携して発売したのが写真のボトルである。容量はコカ・コーラやペプシコーラのレギュラーサイズより多い237ml。初期の広告キャラクターはなんと「加山雄三」であった。台湾では蒋介石ファミリーと癒ちゃ…ではなく、国民党政府にうまく取り入ることでシェアを拡大していたので、日本でもそれなりの拡販体制が取られたものと思われる。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191204/22/noboruyuki2019/cb/53/j/o0237030914660973466.jpg?caw=800)
ローヤルクラウン版のファンタである「スカッシュ」も発売するが、コカ・コーラはおろかペプシコーラに全く太刀打ち出来ずに発売から10年でサントリーはローヤルクランコーラの販売を終了する。サントリーを失ったローヤルクラウン社は、地方の中小飲料業者に食指を伸ばし1972年から再び販売をはじめることになる。そのお話については、また後ほど。