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1961年にアメリカのローヤルクラウンコーラ社が、日本の壽屋(現サントリー)と提携して発売したのが写真のボトルである。容量はコカ・コーラやペプシコーラのレギュラーサイズより多い237ml。初期の広告キャラクターはなんと「加山雄三」であった。台湾では蒋介石ファミリーと癒ちゃ…ではなく、国民党政府にうまく取り入ることでシェアを拡大していたので、日本でもそれなりの拡販体制が取られたものと思われる。
 
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ローヤルクラウン版のファンタである「スカッシュ」も発売するが、コカ・コーラはおろかペプシコーラに全く太刀打ち出来ずに発売から10年でサントリーはローヤルクランコーラの販売を終了する。サントリーを失ったローヤルクラウン社は、地方の中小飲料業者に食指を伸ばし1972年から再び販売をはじめることになる。そのお話については、また後ほど。