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 70年代初頭のペプシコーラ缶である。製造年は缶底の記号からおそらく1973年と推測される。前年に、北海道でもペプシコーラやミリンダの缶製品を生産する「三省キャン飲料三笠工場」が操業開始しているが、それはまた別の機会にお話する。この頃はカタカナでペプシコーラと書いてあった。コカ・コーラの缶と同じくメタリックな外観であり、シンプルなデザインではあるがペプシの特徴をよく表している。同時期のコカ・コーラの缶は東洋製罐のものしか見たことないが、ペプシは大和製罐のものしか見たことがない。ちなみに、缶の上部に「清涼飲料水」の文言が入ってるものもあり、そちらのほうが古い?と思われる。
 
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 製造は日本飲料株式会社「S」。製造者表記ということは自社の工場で製造していたという証左だが、この工場がどこかという疑問がある。この「S」が指し示すものが何かと必死で考え、当初は横浜工場のあった神奈川県横浜市神奈川区守屋町3-13を含めた一帯を示す「新子安」の頭文字かと思っていた。ところが、意外なところから新事実がわかった。日本飲料は当初、駐留軍用のボトリングプラントのあった横浜市中区に本社を構え生産を行なっていたが、販売量の増大に備えるために生産能力の高い新工場を建設する必要性があった。そして新工場が1964年、「埼玉県」北足立郡大和町(現在の和光市)の旧跡見学園白子農園の地に建設された。この工場は横浜工場よりも大規模で、1971年にはボトラー初の缶詰ラインを増設。この「S」が指し示したものは埼玉で間違いない。缶横の文言はこのようになっている。この文言は確認できた限り2パターンあり、おそらくこちらのほうが新しいだろう。宇部興産飲料製造の1974年製の缶も同じ表記であった。缶は大和製罐の3ピース缶。