![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191204/22/noboruyuki2019/3b/4c/j/o0194061114660973152.jpg?caw=800)
日本でペプシコーラの販売が民間市場で完全自由化されたのは、コカ・コーラと同じく1961年。そしてこの壜が作られた年が1961年。となると、事実上の初代ボトルに当たると思われる。当時ペプシコーラを販売していた会社は関東の日本飲料と関西の日糖飲料のみで、この壜は日糖飲料のエリアで使用されていたものと思われる。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191204/22/noboruyuki2019/2b/60/j/o0181061314660973161.jpg?caw=800)
裏面はこうなっている。日本語で書かれた部分がなく、内容量も書いてない。内容量は同時代の王冠記載の情報によれば「192ml」となり、これはコカ・コーラと同じ6オンス半となる。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191204/22/noboruyuki2019/35/fe/j/o0295063414660973168.jpg?caw=800)
ネック部分は「JAPAN」としか書かれていない。同時代、アメリカによる統治が行われていた沖縄ではこの壜よりも容量の多い8オンス(=236ml)で販売されていたが、そちらは「RYUKYU ISLAND」と書かれていた。一般的に有名なペプシ初期ボトルとの大きな違いがあるがわかるだろうか?この壜のロゴはブルーのACL焼付けがあるんですね。沖縄製の壜は今でも海岸や山中に廃棄されていることが多いらしいが、本土初代壜はどうなんだろうか。どちらにせよ、この壜は宝物としてこれからも大事にしていきたい。