{7D28ACEA-1F30-4743-8AD2-9C7D8C2C0F96}
あれから7年が経とうとしています。

お亡くなりになられた方には哀悼の意を表したいと思います。

まだまだ復興半ばだと思います。
お亡くなりになられた方は戻っては来ません。ですので完全に元通りにはならないですが、どうか心安らかな日が残された家族の方に訪れることを望みます。

あの日、私は初めての選挙を控え支援者に挨拶まわりをしている途中でした。
ちょうど自宅に3時の休憩で寄った時に、大きな揺れを感じました。
当時私は消防分団に入っており、震度5弱以下でありましたが消防分団詰所に向かったことを覚えております。
他の分団の皆も、参集義務はなかったのですが自然と集まり、詰所にてテレビをつけ状況を把握に励んでおりました。

当時、綾瀬市内の情報の伝達能力がとても低く、消防分団にさえ連絡が届かないと言う状況でした。

まさに異常事態です。
テレビからは大津波の画像が送られてきたりして、最初は冗談交じりにお茶を飲みながらテレビを見ていたのですが、だんだんと迫りくる不安にみんな押し黙ってしまいました。

その当時は本気で、日本は終わると感じました。

だけど、本来は指示なしで動き回る事は禁止されていた我々でしたが、誰言うともなくそれぞれに自分たちの地元を回り自発的に情報収集を始めていました。
役に立たないかもしれないけど、何かできることをしようと言う空気になりました。

この出来事は、その後の私の使命を決定づけるに余りある出来事でした。また、公人としてできることを具体的に意識させ覚悟を決めさせる出来事でもありました。私は今、防災を中心に活動を展開させていただいております。
そして、可能な限り自分のできることは自分でやろうと言うようになりました。
ひょっとしたら生意気に見えるかもしれませんが(笑)

あの大地震は、きっと日本中の国民にいろいろなことを指し示してくれたのかもしれません。
7年経ちますが未だに私の心の中に深く刻み込まれた大災害でもあります。

鎮魂の祈りとともに、自分自身に問いかける、そんな1日を送っております。

最後ではありますが、改めて亡くなられた方々に鎮魂の祈りを捧げたいと思います。