ツヨシ「密教で言われる「煩悩即菩提」ってどういうことですか?」
仙人「ああ、煩悩がある人のほうが、よく悟りを開けるということさ。」
ツヨシ「仏教は戒律も厳しいはずなのに、それって(密教の教え)おかしくないですか?」
仙人「そんなことはないさ。有名な「歎異抄」には、「善人でさえも往生するのだから、まして悪人はいうまでもない」と親鸞聖人が言ったと書いてある。」
※歎異抄より抜粋
この身のままこの世で仏になるというのは真言密教の教えです。…これに対して、次の世で悟りを開くというのが他力浄土門の教えであり、信心が定まった時に間違いなく与えられる本願のはたらきなのです。
ツヨシ「えっ?そうなんですか。でも、それって、「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない」の間違いじゃないのですか?」
仙人「フフッ、普通に考えるとそう思うものだ。しかし、現実を見ると、それは違うと分かるさ。それに、人が悟りを得ようとするのは、どんな時か知ってるか?」
ツヨシ「えっ?どんな時って。お金がなくて苦しい時、切羽詰まった時です。。」
仙人「そうだろ、たいていの人は、頼りになる人もなく困り果て、はじめて宗教心に目覚めるのさ。困ってもないのに、宗教に引き寄せられることなんて、ほとんどないんだよ。」
ツヨシ「しまいには神頼みということですかぁ。あっ!だから、困り果てた時に悟りを得ようとするのですね。」
仙人「そう、人は苦しんでいる最中が、悟りの道に入るチャンスなんだ。煩悩が渦巻いて、悪魔に襲われて眠れない時に、悟りを得ようとするのさ。」
ツヨシ「そうなんですね。そう言われてみると、ボクもそうでした。生活に困っていなければ、宗教(スピリチュアル)なんかに興味を持たなかったですから。」
仙人「おいおい、口が過ぎるぞ。でも、悟りを焦ると失敗するから気をつけな。」
ツヨシ「どういうことですか?悟りを得ることに「一所懸命になること」は良いことじゃないのですか?」
仙人「ああ、一所懸命になることは良いことだ。しかし、何でも意気込み過ぎると失敗するものさ。たとえば、ダイエットで体重を10キロ痩せようとする。目標を達成するまでお菓子を一切食べないように決めた。ツヨシだったら出来ると思うかい?」
ツヨシ「(ダイエットは)続かないですね。お菓子を食べたらダメだと思うと、余計に食べたくなるし、一回食べるともうダメです。」
仙人「そうだろ。理想(理論)と現実は違うんだ。だから、ブッダも「ええ塩梅が大事だ!」と言ったのさ。」
ツヨシ「何ですか?ええ塩梅って?」
仙人「ああ、漬物を付ける時には、塩の量が多すぎては塩辛くなるし、少なすぎると漬物にならない。だから、丁度いい塩梅(あんばい)が大事なんだよ。」
※中道…偏った見方を離れて中正の道につく。仏教の中心思想である。ほどよい中庸の道ではなく、囚われを離れて厳しく公平に現実を見極め、正しい行動をとることを意味する。
…空海、秘蔵宝鑰より
ツヨシ「ふ~ん、やり過ぎはダメってことなんですね。悟りを得るためには、ある程度のいい加減さも大事なんですね。」
仙人「良いことを言うじゃないか。そうなんだよ。(いい加減な)煩悩は、悟るためには必要不可欠なんだ。だから、大日如来は「煩悩を断ち切るのは無理だから、煩悩(欲)を積極的に集めなさい!」と言ったんだ。」
※密教五大願「福智無辺請願集」…福智と智慧とは限りないが、誓ってこの身に集め具えることを願う。
ツヨシ「えっ?欲を捨てずに、貪欲になれってことですか?」
仙人「ああ、そうだ。食べ物や洋服、そして、お金をいっぱい集めるんだ。ただ集めるんじゃない。自分の生活に足りたら、欲している人たちに分け与えるんだよ!」
ツヨシ「そういう事なら理解できました。」
仙人「物質的な欲だけじゃない、思いやりや優しさという「慈悲の心」が身に付いたら、今度はその精神的豊かさを分かち合うんだ!」
※菩薩は、すべて慈悲をもととして他人の利益になることを優先させるのである。この心を保って浅はかな執着を排して深い教えに入れば。大きな利益を得ることができる。
…空海、秘蔵宝鑰より
仙人「この宇宙という所では、自分も他人もない(区別がない)。自分と他人は繋がっているんだ。だから、自分と他人を幸せにすれば、神や仏が大喜びするってわけさ!」
ツヨシ「凄い!そういう事だったのですね!それじゃあ、早速、強欲にならなければ。」
仙人「強欲ではない、貪欲だ!わっはっは。」
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【今日の学び】
★煩悩即菩提…欲を持つことは良いことだ!煩悩があるから悟りに目覚める。
☆満たされていない欲求(煩悩)を満たすために、一所懸命に働く。欲望はエネルギーを生む。
★欲求が満たされても満足してはいけない!同じ不満を持つ他人のために貪欲になる!
☆集めたお金や物を他人に与えて、幸せを分かち合うと、神仏が大喜びする!