密教の「さとり」の秘密! | 凡人だから覚れるブッダの教え

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毎日が楽しくない、苦しい、悲しい、、、成功したい、生きがいがほしい、、、そんな悩みが解決できるブログです。ブッダの教えを知ると、誰でも幸せになることができます。人生に行き詰っていましたら、ぜひご覧になってください。


あらゆる仏教の教えは「即身成仏」という言葉にあらわされます。即身成仏とは仏に成ると書きますが、仏の意味は「極楽浄土(幸福)の境地」です。…即身成仏義より

このように、すべての人は「幸福になれる」と言われますが、実際幸福な人生を送っているのは、現在わずかな人だけです。これは、どういうことでしょうか?

釈迦は「人は生老病死の苦を輪廻する」、そして、人生の波にもまれ何度も生まれ変わりながら「成仏」すると言いました。

釈迦の言葉が本当であれば、私たちは「この世では幸せになれない」ということになりませんか?

ご安心ください。

真の智慧を得て、仏の教える方法を実践すれば、誰でも幸福になれます。

その方法をお伝えする前に、
苦しみが、どのように起きるのかを知ってください。


仏教によると、、、
「すべての現象は心の作用に過ぎず、存在している現象は心だけです」とあります。

ですから、幸せになりたければ、自分の「心」について知らないといけないのです。

苦しみは、心の中に起きる「感情」です。

辛い、悲しい、苦しい、怖い、腹が立つ、許せない、もっと欲しい、うらやましい、これじゃない、○○しておけばよかった。どうしよう。。。

これらの感情が強いほど不幸です。
そんなこと分かっていても、毎日不快な感情が出てしまいます。

あなたはいかがでしょうか?

仏教の真理の一つである『縁起』では、、、

「不快な感情(因)が縁(きっかけ)を引き寄せるのです。そして、その縁によって感情に火が付き、さらに悪い状況(果)をつくって行く」と教えています。

世の中に「感情コントロール」という方法がありますが、それでは一時的な対処にしかならず、根本的な解決にはなりません。それは、人間から感情を取ることは不可能だからです。

『幸福』な時には、「うれしい!」「楽しい」「ワクワクする」「ラッキーだ!」「ありがとう」の言葉が多く出ますよね。それは自然なことです。

※あなたの心が暗闇であれば、巡り合うものはすべて禍(わざわ)いとなります。あなたの心が太陽であれば、出会うものはすべて宝となります。…空海、遍照発揮性霊集より


幸せな人はこれらの言葉を多く用いるので、『幸福』かどうかすぐに見分けがつきます。たとえ外見(現状)が幸せそうでなくても、幸せな言葉を多用する人は、将来幸せになることは目に見えています。

自我というフィルター

ところで、
快と不快、二つの異なる感情をつくっているものは何かご存知ですか?

それは、「自我」です。
人は、「自我」を自分だと認識しているのです。

人は、自分の価値観やルールに基づいて物事を判断します。しかし、それらの判断基準は、自らの体験によってできたものです。だから、一人一人の答えが違います。

雨が降った時に、Aさんは「また雨だ。ついてないなぁ。」と言います。しかし、Bさんは「お百姓さんにとっては恵みの雨だ。良かったなぁ。」と言う風にです。

この違いが生まれるのは、それぞれの思考に違いがあるからです。

ここで問題なのは、不幸になる人は、常に「不快な状況」を想像することです。そのため、感情を乱したくないはずなのに、「悪い感情」が心を乗っ取るのです。
このことを仏教では、「煩悩」と呼びます。

そして、悟りを得る(幸福になる)ためには、煩悩をつくってはいけないと言います。不快な感情を生む「煩悩」がなければ、良い感情だけになりいつも「幸福」だからです。

でも、理屈はそうであっても現実は違いますよね。
煩悩は生まれないようには出来ませんし、消すことも出来ません。

「煩悩」は妄想から生まれているからです。妄想である「煩悩」は、陽炎のように実体がないもので、般若心経に説かれる「不生不滅」と言うわけです。

運命は変えられない?

それでは、「煩悩」はどうして生まれるのでしょう?

「煩悩」は、カルマ(業)が原因で生まれます。カルマ(業)が真実であれば、運命は変えられないのでしょうか?

カルマ(業)は、、、
人間の「本能」が積み重ねた体験の記憶(DNA)です。

誰もが持つ記憶(DNA)には、食欲、性欲、睡眠欲がありますが。
個人の持つ記憶(DNA)には、生まれた時からの性格や、育った環境、そして、体験(失敗と成功)記憶が脳に焼き付いています。

生物が生きていくためには、本能を捨てることは不可能です。本能を切り離すと、生命種の「死」を迎えるからです。本能は生物にとって絶対に必要なものなのです。

人が生きていくためには、自分の性格や能力を生かすと効率が上がります。得意なことや好きなことの方が、苦労しないですむからです。

カルマ(業)は、苦労を少なくするための記憶なのです。だから、人は楽をして生きるために、「カルマと自我」を自分自身だと認識します。


でも、この認識は、何を意味すると思いますか?

無意識に「今の自分は変えられない!」と信じているのです。

仏教には、「カルマ(業)」と「自我(エゴ)」には実体がないから、「空」だと説かれています。

カルマと自我から生まれる「想像」や「感情」が、人によって異なるのは、空だからです。

※あなたの心が恐怖に包まれた時には、「あらゆるものは因縁によって生じたものであって、永遠不滅のものはない」ということを、一つひとつ丁寧に瞑想しなさい。…秘蔵記より

空海は「煩悩は妄想だから信じるな」と言います。
しかし、実体のない妄想に苦しめられることも事実です。

それでは、私たちは「幸福になること」をあきらめないといけないのでしょうか?

神我

幸福になることを諦める必要はありません。
私たちには、「真の自分」が存在するからです。

それは、、、「神我」です。

私たちにとっての「神」は、大宇宙です。
心は、大宇宙と同じ性質を持っているので、「小宇宙」と呼ばれます。仏教では、仏と同じ性質が備わっているので、仏性ともいいます。

「神我」とは、私たちは「大宇宙と同じ」という意味です。

神我のことを、真我や仏性と呼ぶ人もいますが、個人の核となるものです。

人の核となる「神我」は、大宇宙が誕生する時にビックバンで放たれた「光」の粒子です。

大宇宙と共に生まれた「神我」は、ずっと輪廻転生していて、死ぬことも生まれることもありません。

私たちの心は「永遠」であり、宇宙とともに生き続けます。そして、私たちの核となる「神我」は、宇宙の神「大日如来」と同じ性質を持っているのです。

※「真実の智慧は、どこにあるのでしょうか」私たちの心の中央部にあります。そう心臓部です。心の中に観音さまがいらっしゃるのです!…空海、法華経開題より


私たちの心の中心に、「神我」があると理解できれば、『悟り』の鍵を持ったことになります。

「法華経」の五百弟子授記品第八には、「わたし(大日如来)は昔、あなたが安楽に暮らし、どんな恵みでも叶えられるように、宝玉を衣服の裏に縫い付けておきました。」とありますが、宝玉とは神我のことです。

ところが、悲しいことですが、、
ほとんどの人たちは、人生で一番大事なこの「神我が備わっている」事実を知りません。(無明)

しかし、今日あなたは「幸福の扉」を開ける鍵を見つけました。

光が見えたのではないでしょうか。

仏と一体になる瞑想法

これまでお話させていただいたことは、「瞑想」によって体験できます。

【自息念(じそくねん)瞑想】

1,数息観…数をとなえて息を整える
2,随息観…息の出入りに集中する
3,止…心のはたらきを止める(冷静さを取り戻すことができる)
4,静まった心で対象を明らかにする観(自分の心をありのままに知ることができる)
5,今までとまったく違う心でみる転(固定観念を崩し新しい発想ができる)
6,すべての物や事象は清らかであるとする浄(この世は平等で清浄だと覚れる)



一人静かに瞑想すると、いろんな考えや想像(画面)が出てきます。人によっては感情が起きることもあるでしょう。それら雑念が「自我」の正体です。

「自我」を抑え込まずに冷静に観察していると、煩悩の元になる「自我」の正体を発見することができます。

その方法を、密教では「月輪観」といい、次の段階の「阿字観」に移行する前に(心を静めるために)行います。


『阿字観』の目的は、「神我の自覚」と「仏との一体化」にあります。


手に印を結び如来や菩薩を招きます。口に真言を唱え心を一つにします。

真摯に「仏と一体になる」と念じイメージすると、自我とカルマが「神我」に統一され、一つの心になります。

そして、心(悟りを求める自分)を、もう一人の自分が観想します。この方法が三密です。

暗闇から目が覚めて、自分が仏になった瞬間です。


※「遺教経」にはこのように書いています。あなた方は心を制御すべきです。心を一つに集中することができれば、何事もなし得るのです。…空海、十住心論より


瞑想で「心(神我)と対話すると、あらゆる智慧を授かることができます。
つまり、、何でも叶うのです!

もし智慧を授かることができれば、あなただけではなく、あなたの周りの人も幸せにすることができるのです。

※もし智慧を得ることができれば、あなたの心から日輪のような光が出現して、あらゆる世界を照らすとイメージしなさい。…空海、秘蔵記より


これが、真言密教の「即身成仏」の方法です。

秘密の教え「密教」は、他言してはいけない

ここまでお話して、残念なことをお伝えしないといけません。

それは、大日経には、「灌頂儀式を受けない者でまだ印契を知らない者には、一つの印でも示してはならない。」とあります。

どういう事かと言うと、「密教行者以外の者に、真言密教を教えてはいけない」というのです。

その理由は、、、

密教が生まれるまでの仏教は、美しい表現の建前が多く、本音(人間の汚れた)が隠されていました。本音部分を伝えたことで、誤解を招いたことがあったからです。

そのため、密教は「秘密の教え」として、ずっと一般には知らされることがありませんでした。

しかし、この記事を理解されている方であれば、そんな心配もないと信じます。そして、真のブッダの教えによって、悟りを得てもらえると信じています。


ですから、これまで秘密にされてきた「密教の秘密」をお伝えしたいと思います。

この続きは、有料記事の中でお話させていただきます。

また、有料記事をご購入の方には、スピリチュアル・ライフコーチの上林が、40分無料でアドバイスさせていただく特典もあります。

※有料記事の字数は少ないですが、一般の方たちに誤解を招かないよう、「密教の秘密」に関心のある方だけに読んでいただくよう有料版(100円)にしましたこと、ご了承ください。