日帝が伝統酒を絶滅させた・・・・バカですねえ | こりあうぉっちんぐ

こりあうぉっちんぐ

 嫌韓ではありません、笑韓です。観ているだけなら、これほど面白い人たちもありませんから。

2016/5/20 中央日報(韓国経済新聞)

韓経:日帝時代に命脈途切れた…朝鮮伝統酒600種を復元

 

 

 

 

 韓国内の伝統酒は朝鮮時代だけで数百種類に及ぶほど繁盛していたしかし日帝治下に入って酒が課税対象になり、「文化抹殺政策」によって朝鮮総督府が醸造場を統廃合しながら伝統主義の命脈が急激に途切れた。忘れられていく伝統酒文化を生き返らせるための行事が19日、ソウル南山谷(ナムサンゴル)の韓屋村(ハノクマウル)で開かれた。韓国伝統食研究所が農林畜産食品部と手を組んで開いた「第9回伝統酒と伝統料理の出会い祭り」だ。伝統酒の種類が最も多様だった朝鮮時代の居酒屋を再現し、伝統酒ソムリエである奏香師選抜大会も行った

  ◆朝鮮末に全盛期迎えた伝統酒

  日本の「古事記」が醸造法を日本に伝えた百済人の仁番の記録を書いているほど国内伝統主義の歴史は深い。穀物を麹で発酵させた穀酒やコメだけで醸した清酒を主に飲んでいた先祖が、モンゴルから蒸留法が伝えられた高麗時代から焼酎も楽しんでいたと伝えられている。朝鮮時代は伝統酒が最も多様だった時期だ。家ごとに酒を直接醸造して飲む「家醸酒」文化が発達したおかげだ。地方や一族の銘酒もこの時に登場した。ソウルの春酒(チュンジュ)、平壌(ピョンヤン)の碧香酒(ピョクヤンジュ)、全羅北道金堤(チョンラブクド・キムジェ)の清明酒(チョンミョンジュ)、忠清南道(チュンチョンナム道)の素麹酒(ソゴクジュ)が特に有名だった。朝鮮時代後期には伝統酒の種類だけで600種余りに達した

  華やかだった国内の伝統酒文化は日帝時代に命脈が断絶した。1907年に朝鮮総督府が酒税令を出して国内の歴史上初めで酒が課税対象になった。酒の製造が免許制に変わり家庭で酒を醸造する行為も禁止された。家や地域ごとにあった代表的な醸造場を大挙統廃合したのもこの時だ。薬酒、どぶろく、焼酎のほかには製造できないようにした。朝鮮末に6つの家で1つの酒を醸造していた家醸酒文化が1930年に至っては完全に消えた。光復(解放)と6・25韓国戦争(朝鮮戦争)を体験した後、伝統主義の位置づけはさらに狭まった。1965年には政府が糧穀保護措置としてコメで酒を醸造することを全面禁止した。代わりに小麦粉マッコリや希釈式の焼酎が普及した

  (以下略)

  
  

http://japanese.joins.com/article/923/215923.html?servcode=300&sectcode=320&cloc=jp|main|top_news

 

引用ここまで

 

 

 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。

 

 

 韓国のマスコミは楽ですな。何事もニッテイガー、で思考停止してりゃいいんだし、読者もナットクするし。

 

 ”韓国内の伝統酒は朝鮮時代だけで数百種類に及ぶほど繁盛していた”・・・理由は分かりますね?分からないかな、馬鹿だもんな。

 

 要するに司馬遼太郎が「街道をゆく」で書いていたように、韓国の伝統酒なんぞは、各家庭で醸造される手軽なものでしたから、家ごとに味が違っていて当たり前なんです。

 

 ”家ごとに酒を直接醸造して飲む「家醸酒」文化が発達したおかげだ”・・・江戸時代の日本の酒造と違い、産業というレベルには達していなかったんですな。

 

 「街道をゆく」でも司馬に同行した在日韓国人のインテリが「婆さんが自家醸造して近所の人たちが飲み干す。どこに産業という考えがありますか」と嘆いていました。

 

 当時の韓国におけるマッコリ事情などは”1965年には政府が糧穀保護措置としてコメで酒を醸造することを全面禁止した。代わりに小麦粉マッコリや希釈式の焼酎が普及した”・・・時代が続いていたんですよ。

 

 産経のソウル特派員、黒田記者も2010年1月の記事で”(マッコリは)田んぼのあぜとか工事現場などで、昼メシ時にドンブリで一気飲みするような庶民的な酒だった。1970年代までは韓国もコメ不足でコメのマッコリは禁止され、代わりに小麦粉で造っていた。最初に飲んだマッコリがそれで実にまずかった”・・・と書いていました

 

 ええ、韓国の伝統酒なんぞはその程度のものなんですね。

 黒田記者も”高級輸入品が好きなご本人(金正日)は日ごろフランス製のワインが好みと伝えられるし、マッコリをたしなんでいるとは思えない”・・・とからかっていました。

 

 それが多少変わったのは日帝時代ですな。

 

 ”1907年に朝鮮総督府が酒税令を出して国内の歴史上初めで酒が課税対象になった”・・・韓国人に時系列が理解出来るとは思わないからいいんだけど、朝鮮総督府が設置されたのは1910年で、それ以前は統監府じゃ。アホか!ええ、アホなんです。

 

 韓国人はこういう措置も、世界に例を見ない苛烈な植民地支配・・・・とか言いたがるんでしょうが、明治政府は酒税確保のために日本の農家の自家醸造を禁止して、違反者は容赦なく逮捕しておったわ。

 

 ”穀物を麹で発酵させた穀酒やコメだけで醸した清酒を主に飲んでいた先祖が、モンゴルから蒸留法が伝えられた高麗時代から焼酎も楽しんでいたと伝えられている”・・・どこの朝鮮だよ(笑)。

 

 2011年3月の中央日報は韓国最古の醸造所についての記事で”2つの醸造場は1920年代半ばに創業した”・・・と書いていました

 要するに日帝時代には意欲のある朝鮮人が起業出来る環境が整っていた、ということです。

 ああ、ソウルではデパートなんかも

 

 しかし、その最古の醸造所では21世紀になっても”われわれは酒を仕込む時に酵母を使いません。建物の壁と天井に隠れている酵母が胞子を飛ばし酒の甕に飛び込みます”・・・などという原始的な酒造りをしているのがアレなんですが。

 

 ”朝鮮総督府が醸造場を統廃合しながら伝統主義の命脈が急激に途切れた”・・・その程度で途切れる朝鮮の伝統とはお手軽なものですなあ。

 

 実際には2010年4月の朝鮮日報が書いたように”マッコリブームのせいで地方のマッコリ業者たちが倒産しそうだ・・・マッコリ市場で大手2社の占有率は現在、全国市場の60%、首都圏の70%を占めている”・・・というような事情があっただけでしょうに。

 

 韓国・・・・朝鮮には多様性などというものはありませんからね。

 2010年9月の中央日報も”韓国のビール会社と焼酎会社(希釈式)はそれぞれ2社と10社にすぎない半面、規制を大幅に緩和した日本は270社と113社にのぼる”・・・と書いていましたな

 

 とにかく日本じゃ”韓国伝統食研究所が農林畜産食品部と手を組んで開いた”・・・などと行政が音頭を取らなくても、庶民はどぶろく特区などで伝統酒造りを楽しんでおりますけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 酒を控えろとな。