講演:歴史や共生テーマ 在日コリアン4人、益田で /島根
北九州市の〓東録(ペトンノク)さん(72)ら在日コリアン2、3世の4人がこのほど、益田市内で在日の歴史や共生をテーマに講演した。地元のNPO法人「多文化共生と人権文化 LAS」が主催し、約20人が集まった。 ペさんの父は1940年、北九州に連行され、鉄鉱石を手で貨車に積み込むなど八幡製鉄所(当時)の下請けで働いた。42年に母や姉の東先(トンソン)さん(80)ら母子5人が父の後を追って移住。ペさんは43年に北九州で生まれた。
日本語がよく分からず、差別と貧困の中で生きた両親を間近に見てきたペさんは、自分のことを「在日1世に近い2世」と言う。「自分は日本の米を食べ、水を飲んで育った。強制連行が在日朝鮮人問題の始まりになったという歴史を分かってもらいたい」と訴えた。学校でいじめられた体験も語り、「違いを認め合い、差別をしない生き方をしてほしい」と呼び掛けた。
ペさんは「在日1世の歴史と思いを日本人に伝えるのは自分の役目」と、95年から講演活動を続け、これまでで約960回を重ねた。東先さんや3世の徐麻弥(ソマミ)さん(31)、李大美(リテミ)さん(29)も同行している。
3世の2人はヘイトスピーチ(憎悪表現)について「罪悪感が感じられない」と懸念。東先さんは、日本人を恨んでいたという母が80歳を過ぎて日本語の識字教室に通い、「温かい日本人もいる」と死んでいったことを語った。【横井信洋】
http://mainichi.jp/area/shimane/news/20151022ddlk32040486000c.html
引用ここまで
緑色の文字列は関連記事へのリンクです。
”ペさんの父は1940年、北九州に連行され”・・・ああ、未だにこういう嘘を語り継いでいる在日や、それに協力する日本人の左巻き、もしくは馬鹿には事欠かないんですよねえ。
そもそも強制連行なんて制度は存在しませんでした。徴用でしょ。日本では1939年に国民徴用令が公布されましたが、朝鮮半島では免除されており、実施されたのは1944年9月からでした。
”強制連行が在日朝鮮人問題の始まりになったという歴史を分かってもらいたい”・・・そういう事実は存在しません。
朝日新聞が厚生省の発表を記事にしたところによれば、戦時徴用者で戦後も日本に残ったものなど245人に過ぎませんでした。
あとの59万9千755人は出稼ぎか戦後の密航ですな。ええ、戦後の密航というのも冗談のように多いんですよ。
そういえば在日を商売にしている姜尚中とかいう元東大教授の両親は在日一世ですが、徴用令施行以前の来日ですので、単なる出稼ぎです。
無自覚な本人たちもそんな発言をしたものですから、慌てた姜は「広義の強制連行」とかいう言葉を発明していました。
強制連行なんぞという言葉が流行り出したのは朴慶植とかいう朝鮮学校の教員が書いた
「朝鮮人強制連行の記録」(1965年 未来社)でしょうが、韓国系日本人である鄭大均は、そんな神話をコテンパンに論破しております。
しかし同じ家庭に育っても妹の鄭香均の方は少しアレな、というか模範的な在日ですが。
別にどうでもいいんですが、韓国人は嘘吐きの割には嘘の吐き方が下手ですからねえ。
そもそも”42年に母や姉の東先(トンソン)さん(80)ら母子5人が父の後を追って移住”・・・ということで強制連行なんか存在しなかったことに気づけ。
しょうがないんですけどね。在日の在日による在日もしくは良心的日本人のためのショーなんですし、毎日新聞には胡散臭い在日記者がおりますからねえ。
こんな奴だったんですが、今では確かサンパウロ支局長・・・・・・帰ってこなくていいから。
”ペさんは「在日1世の歴史と思いを日本人に伝えるのは自分の役目」と、95年から講演活動を続け、これまでで約960回を重ねた”・・・もう嘘800回も過ぎたんだから、いい加減に本人も毎日新聞も飽きろよ。
その小屋はもう取り壊したから、帰ってくるなら玄関からにしろ。