木の種類を間違えた韓国政府の造林事業
山林庁傘下の「グリーン事業団」の海外造林グループで先日、大騒ぎが巻き起こった。インドネシアで造林事業を行い、そこで生産される木材から木質ペレットを作り、石炭と混ぜて火力発電所の燃料に使用するという壮大な計画に問題が生じたからだ。
インドネシアで育てた木を伐採する際、塩素や窒素の量が基準値を上回ったのが問題となった。このような木を燃料に使用した場合、発電設備が腐食する恐れがあるため、山林庁は事業を中止せざるを得なかった。
(中略)
事業を中断したのは、木の種類を間違えたという、実にあきれるものだ。一般的に木質ペレットの原料に用いられるアカシアやユーカリよりも安く、同じ面積でより多く植えることができるという点ばかり重視し、十分な検証を行わず、「グリルリシディア」という木を採択したのだ。
問題はインドネシアだけで起こっているわけではない。南米パラグアイで1万ヘクタールの林に木を植え、建築資材用の板を生産するという事業も、全面的な再検討を余儀なくされた。ユーカリの木を育てて現地で加工し、韓国に輸入するという事業だったが、太平洋を渡るのに掛かる輸送費などを考慮すれば「経済性に疑問がある」と指摘する声が出た。
(中略)
政府は事業の失敗について原因を究明し、誰に責任があるかを必ず明らかにするべきだ。数千億ウォン(数百億円)規模の国家プロジェクトの陰に隠れ、国民もよく知らない事業だが、これほどまでのあきれた失敗は前例がないのではないか。
金正薫(キム・ジョンフン)記者
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/13/2014091300872.html?ent_rank_news
引用ここまで
緑色の文字列は関連記事へのリンクです。
”山林庁傘下の「グリーン事業団」の海外造林グループで先日、大騒ぎが巻き起こった”・・・いやいや、その程度のことで騒いだって・・・・・要するに海外で植林して、その材木を輸入するという一種の資源外交なんでしょうが、アキヒロ君の時代から資源外交なんぞは失敗続きだったでしょうが。
2012年1月25日の中央日報は”李明博政権の資源外交全体が袋叩きにあっている。 関連部処や傘下機関が一斉に「1件」ずつ確保したと広報に熱を上げたが、了解覚書(MOU)が正式契約につながった例はほとんどないという批判だ”・・・と書いていました。
例として挙げたのはカメルーンのダイヤモンド鉱山だったんですが”担当公務員の親せきがその企業の株を持っているかどうかは全く知らなかった”・・・などとも。
投資した経費なんぞは関係者一同が美味しく頂いたに決まっているでしょ。
そうそう、2012年6月20日の東亜日報は”韓国のコンソーシアムが、中国や日本、フランスを抜き、世界最大のリチウム保有国、ボリビアから、リチウム関連事業権を獲得した”・・・というホルホル記事を書いていましたが、翌年の1月19日には”李相得元議員(アキヒロ君のお兄さん)が積極的に支援して確保したリチウム開発事業も否定的な影響を受けるという懸念が出ている”・・・と書いていました。
ええ、膨大なカネを注ぎ込んで契約したものの採算は採れそうにもなかったんですね。別にどうということも。関係者はキックバックさえ貰えれば・・・・・
同じ東亜日報の記事では”韓国鉱物資源公社が国内4企業とコンソーシアムを構成してボリビアで確保した歴代最大規模のコロコロ銅鉱山事業から手を引く案を検討している”・・・という記述もありました。
別にどうということもないですね。採算が採れそうもない鉱山にかけた膨大な予算の何割かは関係者の元にキックバックされたんでしょうから。
だから”これほどまでのあきれた失敗は前例がないのではないか”・・・などとは何と言う寝言を。田舎の隠居だって前例なんかいくらでも知っていますが?
”事業を中断したのは、木の種類を間違えたという、実にあきれるものだ”・・・別にどうということも。韓国人に植林について期待したって・・・・・
09年9月8日の聯合ニュースは、100年前のウリナラの山のほとんどは禿山だった・・・・・と正直に書いていました。
朝鮮という厄介者を併合した日本はやむなく朝鮮全土の山林図を作成しまして
朝鮮林野分布図'
のを見せている。
こんなものですな。こういう朝鮮の山を日本は苦労して植林して・・・・・
しかし極右の産経にも馬鹿な特派員がいまして、2010年7月4日付のコラムで”以前、韓国にハゲ山が多かったのは、山林庁によると、日本統治時代の伐採による略奪や朝鮮戦争による荒廃などのせいだという”・・・などという寝言を書いていました。
だから併合当時の朝鮮には既に禿山が広がっており、それに植林を施したのは日本・・・・・・まあ新聞記者などはアサヒの例を挙げるまでもなく馬鹿が多くて。
そういえば司馬遼太郎の「街道をゆく」でも紹介されていたと思いましたが、該当箇所が見つからないため記憶で書きますので間違っているかも知れません。
江戸時代の鳥取藩の話かと思いましたが、今でも鳥取砂丘があるように日本海から吹き付ける風のせいで日本海側では砂が内陸に堆積して農地を埋めてしまう被害が多かったんです。
それを防ぐために防砂林が発達したんですが、鳥取藩の一武士は飛砂の動きやらどんな植物を植えたらいいのかを知るために真冬でもムシロ一枚で海岸で寝たりしてデータを集め、最初はグミ(だったかな?)などの低木を植え、やがて松などの高木を植えて飛砂の被害を防いだのです。
新潟市の海岸沿いにも松林が広がっていますが、あれも防砂林なんですね。
まあ韓国の役人に植えるべき木の種類がどうのこうのと期待したって・・・・そもそも新聞記者だってコメの生産量について書くのに面積単位のアールとヘクタールの区別もつかないんですから。
インテリは現場のことなど何も知らないのが普通なんですね。