軍の資金で慰安所口止め・・・ああ、林博史教授ね | こりあうぉっちんぐ

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 嫌韓ではありません、笑韓です。観ているだけなら、これほど面白い人たちもありませんから。

2014/3/22 中日新聞
「軍の資金で慰安所口止め」 元日本兵、60年代に供述





 旧日本軍の従軍慰安婦問題で、太平洋戦争中にインドネシアのバリ島に海軍兵曹長として駐屯していた男性が、1962年の法務省の調査に「終戦後(慰安所を戦争犯罪の対象に問われないよう)軍から資金をもらい、住民の懐柔工作をした」と供述していたことが分かった。

 元兵曹長は「(慰安婦として)現地人など約70人を連れてきた」「他にも約200人を部隊の命で連れ込んだ」と連行の実態も説明していた。



 関東学院大の林博史教授(日本近現代史)の研究室が国立公文書館(東京)保管の資料で見つけた。林教授は「河野洋平官房長官談話が認めた軍の関与を裏付けるもので重要だ」と評価している。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014032201001850.html


引用ここまで


 緑色の文字列は関連記事へのリンクです。


 ”
終戦後(慰安所を戦争犯罪の対象に問われないよう)軍から資金をもらい、住民の懐柔工作をした”・・・ああ、また”関東学院大の林博史教授”・・・ですか。
 ウィキによる紹介はこちらですが、飽きもせずに反日を。本業はちゃんとやっているのか・・・・・いや反日が本業でしたな。

 場所はインドネシアねえ。90年代にはやはり反日命の左巻き弁護士、高木健一が”
地元紙に「補償のために日本からやってきた。元慰安婦に対して名乗り出て欲しい」という内容の広告”・・・まで出して元慰安婦を募集していましたな。
 地元からは迷惑がられていたようですが、左巻きはハタ迷惑なんて顧みませんから。

 そもそも戦後のインドネシア情勢を考えてみろよ。300年余り支配していたインドネシアから日本軍によって追い出されたオランダは、またインドネシアを支配すべくノコノコと舞い戻って来たんだぞ。
 当然ながら独立派は武器を執ってオランダ軍と戦ったわけですが、日本軍は収容所に入れられているか脱走して独立派に身を投じるか・・・・・・戦死またはオランダ軍に処刑され、国立墓地に英雄として葬られている元日本兵が何人もいます。

 そういう中で軍から大金を預かって現地で慰安所の口止め工作ねえ・・・・・・だから当時のアジアじゃ日本でだって売春は合法だったんだし、オランダじゃ今でも合法です。
 馬鹿ですねえ。

 まあ馬鹿だから08年にも”
2次大戦での日本の敗戦直後、旧海軍が日本人慰安婦を、軍病院の補助的な看護婦として雇用するよう命じた通達”・・・なんぞを英国立公文書館で発見してたりしてましたが、それは”慰安婦の存在を聯合国側から隠ぺいしようとした”・・・わけじゃなく”敗戦時に慰安婦を軍属雇用するなどは、祖国への帰還問題その他に配慮した、むしろ人道的な措置でしょう?”・・・と諭してあげたんですが、馬鹿の耳には入らなかったようで。

 ええ、10年12月にも東亜日報が同じソースで”
日帝、強制動員韓国人慰安婦を「看護婦」に偽装・・・日本が、軍慰安婦の存在そのものを組織的に隠ぺいしようとしたという分析が提起された”・・・などとやってましたから
 確かに連合軍からは隠しましたよ。そうしなけりゃ彼女らは連合軍相手の慰安業務に従事させられたでしょうし、帰還船に乗れる保証もなかったですからね。
 まあ馬鹿の耳には入らないんでしょうなあ。

 そういえば林君はせっせと公開されている公文書漁りをやっていますが、韓国にも似たような反日学者(モドキ)がいましてね。
 エンジョイ・コリアでは、またブンキチか!で親しまれていたチョーセン人なんですが、このヒト(モドキ)も日本の図書館とか役所の文書室とか神田の古本屋街で秘密文書(笑)を探すのが仕事のようで、12年8月にも”
日本防衛相の史料室で・・・日本軍が慰安婦の派遣に関与していた事実を示す秘密文書”・・・を発見していましたな

 記事にしたのは聯合ニュースという韓国における一流の通信社なんですが、馬鹿は馬鹿でしかないし。
 とにかく史料室の文書というものは公開されているものだし、オマケにガイジンさんでもコピーが取れるという・・・・・普通はそういう文書を秘密文書とは呼びません。

 いいえ、いくら諭しても無駄だということは分かっていますが。林教授もブンキチ君も死ぬまで阿呆踊りは止める気はなさそうですから。
 まあ飯のタネでもありますしね。それにしても日韓の反日屋の行動というのは驚くほど似通っているんですな。

 何と言うか・・・・・血ですかねえ。




 06年4月・・・・雪の上の散歩が好きでしたな。