2017年3月26日~29日
広島県福山市の私立盈進中学高等学校が主催校として開催された【中高生平和サミット】に
大阪偕星学園高校、沖縄尚学高校、広島女学院高校 約100名が参加して、広島平和公園碑めぐりや原爆資料館での研修、切明千枝子さん、森瀧春子さんから被爆体験や平和活動などの講演を聴き、自らの足で歩き、目で見て当時の悲惨な歴史を掘り起こした。
その後ディスカッションを行ったり、場所を変え、福山市では、福山空襲を学び、歴史の街「鞆の浦」を散策し、ホロコースト記念館を見学した。早朝から夜遅くまで学び、語り合った貴重な経験だった。
盈進高校音楽部による演奏
私も28日に、各校生徒や先生、地域の方々の前で50分のお話をさせていただいた。
高校・大学時代に過去の悲惨な戦争や歴史を正しく認識した息子が、生前日本や世界の未来を見据えて学問し人間関係を紡いでいたこと。
その夢も阪神淡路大震災で、命と共に潰されてしまったこと。
子の無念と親の無念の重い分銅を抱えた私は苦しみに喘ぎ、起ち上がることもできない日々を漂流していた。空を仰いでは、虚空をつかむ日々の苦しみ。
あれから22年。失ったものの大きさ故に、得たものが貴く愛おしくありがたいことを知った。
そんな話を聴いてくれた200の耳と瞳。そして、100の命。
講演後、主催者側の計らいで、生徒との対話の時間を設けてくださった。
その対話が、私には至福の時間だった。
「これまで多くの講演を聴いていたが、これほど号泣して、自分を見つめ直したことはなかった」
「今日のお話を聴いて、本気で未来への意識をした」
「これまで、僕の両親は無私の愛で支えてくれ、どのように感謝を表現すれば良いかわからない。良い方法があれば教えてほしい」
そんな質問や感想を述べてくれた沖縄尚学高校の生徒会役員たちに、私は感動しながら、丁寧に応えた。
私の想いが、高校生たちの心に届いたことを実感し、広い体育館のどこかで見守ってくれていたであろう亡き息子へ感動の波動を送り続けた。
盈進弓道部の模範演技
最終日の平和のつどいでは、各校の発表が続いた。
沖縄のエイサーや琉球空手、インド舞踊、台湾舞踊、など多くの発表の後、最後に読み上げられた【高校生たちの平和宣言】に、私は大変感動した。
その全文は後日ここに掲載し、感動の記録の1ページとして、お読みくださる皆さまと共に記憶できることを願っている。
沖縄尚学地域研究部によるエイサー