https://www.youtube.com/watch?v=a4NFXrANo0M 【信じているの/ヤドランカ】
1995年に発生した阪神淡路大震災直後の3月に、旧ユーゴスラビアのセルビア(ベオグラード)へ渡航した神戸の被災児たちの中に、亡くなった息子・貴光の学友がいました。
彼は、村上友章さんという神戸大学法学部で共に学びあった友でした。
日本を発つ前日、彼は息子が亡くなった現場に行き(当時はまだ電車も動かず徒歩で長時間かけて) 倒壊したマンションのガレキを拾いポケットに忍ばせてベオグラードへ行ってくれました。
そして、記念植樹式で桜の苗木を植える時、その根元に埋めてくれたのでした。
それをテレビ朝日の【ニュースステーション】 で知った私は、彼の想いに感動し、茫然自失で憔悴しきった心に閃光が走り、自力で立ち上がる力をいただきました。
セルビアの首都ベオグラードのツェカリッツァ公園で桜の苗木を記念植樹 1995年3月
それから約半年後に彼から電話がありました。
「サラエボ出身の歌手・ヤドランカさんのコンサートが、大阪の豊中であるのですが、一緒に聴きに行きませんか?」 と。
旧ユーゴスラビアに、息子の魂が眠っていると思い続けている私には、ヤドランカさんは、遠い存在と感じることはできず、「行きます!」 と即答しました。
それが、ヤドランカ・ストヤコヴィッチという歌手の存在を知ったきっかけでした。
冒頭で紹介したYou Tubeの 【信じているの】 は、当時の私の想いそのものでした。CDを買って帰り、この歌を幾度聴いた事か・・・・・涙が枯渇するほど泣きました。
でも、その溢れ出た涙は悲しみで凍りついた心を溶かしてくれたのでした。
こうして当時、苦しみの極致だった私の心を癒してくれたのは、ヤドランカさんの歌だったのです。
囁くように・・・包み込むように・・・皮膚からすーっと心に沁み込んでくる歌声は、奈落の底にうずくまっていた私の心を動かし、閉じかけていた瞳を開いてくれたのでした。
悲嘆の日々を重ねて12年目に、不思議な出会いが幾つも重なり、あのヤドランカさんと対面することになったのですから、驚いたという表現が物足りない程の衝撃を受けました。
初対面の私のことは、関係者の方々から彼女に伝えられていて、出会いの瞬間、強く強く抱きしめ、あの包み込むような声で囁いてくださったのでした。
「カナシイネ・・・・・ツライネ・・・・・ダイジョウブ・・・・・ダイジョウブ・・・・・」
日々の悲しみがヤドランカさんの胸の中で溢れ出ました。
あれから8年経った今朝、私の胸に湧き上がったヤドランカさんへの想い。
そうだネット検索してみよう。と開いた途端目に留まった記事がありました。
★「日本の全てが好き」 ALS の歌姫が伝えたいこと★
http://dot.asahi.com/aera/2014112600091.html
この記事を読んで目を疑い愕然としました。
どうしてヤドランカさんにこのような苦しみを与えられたのか・・・・・
「カナシイネ・・・ツライネ・・・ダイジョウブ・・・」
いただいた優しい言葉を、今私は彼女に捧げたい・・・・・
そして強く抱きしめたい・・・・・
歌に出会って20年
初対面から8年
今朝、私の心がザワザワと冷たい風に晒されたのは何故なのか?
今、私は何をすべきか?
抱えきれないほど荷物を背負っている私だけど、今できることを考えています。
ボスニアで辛い病魔と闘っているヤドランカさんの心が折れませんように・・・・・
この想いが遥遠くボスニアまで届きますように・・・・・
画家でもあるヤドランカの絵【マザー】私の手元にある彼女の絵は玄関に飾ってあります