夢はあきらめない  ~福島県山木屋中学校~   | アイビーの独り言

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加藤りつこのブログ


生徒と先生が手彫りで作られた「山木屋中学校」の文字に感動。正面玄関ではない入口。延和聰・撮影






昨年の11月2日、私は、福山市の盈進中学高等学校の延和聰(のぶかずとし)教頭先生と、福山市役所の松本恵美子さん、盈進卒業生で現在、慶應義塾大学2年生の山本真帆さんと共に、福島県の被災地~宮城県岩沼市の被災地を訪ねました。


その時、山木屋にご自宅があり、福島第一原発事故後、現在も帰還できないで避難生活をされている、大内秀一さんのご紹介で、山木屋中学校を訪問しました。


山木屋中学校は、元の校舎から10㎞先の川俣中学校の4階を間借りして授業をされています。

ご家族が遠方へ避難されて転校しなければならなくなった生徒さんや、精神的に不安定になり、体調を崩している生徒さん達が多く、現在全校生徒数は32名だとお聞きしました。




山木屋中学校を応援されている大内秀一さんのそば打ち授業を参観しました。 延和聰・撮影






全校生徒数が32名だとクラブ活動もできません。

間借りしているという遠慮から、休憩時間でも運動場で遊ぶことをためらう生徒たちの気持ちを思うと胸が詰まりました。


中学生という、まだ幼さの残る彼らが、未来への希望を持ち続け、笑顔で頑張るまでには、大変過酷な状況がありました。 

 それを一つずつ乗り越えて行こうとする、強い精神を持ち続けられたのは、先生方をはじめ、地域の方々が、子ども達の心をサポートされるすばらしい【愛】があったからだと思いました。





ゲストティーチャーの大内秀一さんが、私を紹介してくださいました。  延和聰・撮影







心の傷 歌でほぐす ~福島・川俣町の山木屋中学校~


 東京電力福島第一原発事故の影響で、学校ごと避難を続ける福島県川俣町の山木屋中学校。 生徒たちの傷ついた心をほぐそうと、授業で合唱を活用している。放射線教育より先に必要なのは心のケア・・・。 そんな思いで始めた取り組みだ。


 飛び立とう

 未来信じて

 弾む若い力信じて

 この広い 広い大空に

            ~「旅立ちの日に」 (作詞・小嶋登)~






廊下に貼ってあった全校生徒の合唱コンクール出場記録。







 2月20日午後、川俣町立川俣中学校の教室で、はずむような歌声が響いた。町立山木屋中の1~3年生、計30人が昼休み、卒業式に向けて合唱練習していた。


 避難指示区域にある山木屋中は、10㌔離れた川俣中に間借りをし、全校生徒35人が授業を受けている。


 「合唱が好き」と声をそろえる男女9人の3年生が力強い歌声で下級生を引っ張る。 「うまいよ。本番で歌うとき、泣かないでな。鼻水が出てもそのままだぞ!」。 理科教諭で合唱指導にあたる佐藤毅教諭(53)の話に、笑いが広がった。










 原発事故から半年ほど経った2011年秋、佐藤教諭は生徒たちに「異変」を感じとった。


何ヶ月も不登校生がゼロだった山木屋中で、ポツリ、ポツリと欠席者が出はじめた。 スクールカウンセラーに調べてもらうと、生徒たちのストレスが高いことがわかった。


 授業でも変化があった。 原発や放射能に興味を示してきた生徒たちが、「聞きたくない」 「安全だから知らなくていい」 と耳を塞ぐようになった。


 原発事故を受け、福島県の小中学校は放射線教育に積極的に取り組んでいる。 だが、佐藤教諭は 「生徒は放射線を学ぶ。 その前段階にある」 と感じた。 「知りたいと思わないと学べない。 放射線教育は命や健康を守るための武器。 (生徒たちが) あの時ちゃんと勉強しておけば、とならないようにしなければ」


 まず生徒の心のケアが最優先課題。 「必要なのは自分をごまかさないで表現すること。そんな自分を周りに認めてもらうこと」。 佐藤教諭はそう考え、元々盛んだった合唱に注目した。





山木屋小学校は彼らの母校。中学校が見下ろせる高台にありましたが生徒のいない校舎はさびしい。      延和聰・撮影


小学校から眺めた山木屋中学校。運動場は除染作業員の車の駐車場になっていました。延和聰・撮影


小学校から眺めた山木屋地区の中心地域。のどかな町だったのに・・・   延和聰・撮影






 生徒が自らの思いを表現するために、どうしたらいいか。 佐藤教諭は、合唱曲の歌詞を替えてみようと呼びかけた。 すると、次々とアイディアが出てきた。


 合唱曲 「道」(作詞・山崎朋子)の ≪戻れない季節に 僕たちが見える≫

という歌詞は 「戻れないあの日に 僕たちが見える」 に替わる。 

 山木屋に戻りたいけれど戻れない、そんな気持ちがにじむ。

震災直後のどうしていいかわからない不安や、未来へ向けた決意は、「あなたへ~旅立ちに寄せるメッセージ」(作詞・筒井雅子)という曲で表現した。

 

 悲しみを知った分 強くなれる ≪元=悲しみを知った分 優しくなれる≫


 最初は気乗りしなかった男子も興味を示し、昨年9月からは昼休みも使って練習した。 町の音楽会や学校の文化祭でも披露。 涙を流す避難者もいた。3年生の高野樹君(14)は、「原発事故を経験した人の思いは一緒。歌詞を替えることで自分たちの思いも届けられた」 と振り返る。


 佐藤教諭は 「厳しい現実を前向きに直視するには心の力が必要です」と話した。


                                  ~朝日新聞より~






田んぼを除染するため50cm土を削る作業員。          延和聰・撮影


田んぼの周りは深い林に囲まれている。山は除染できないのに・・・   延和聰・撮影







山木屋中学校の生徒たちは、2014年の大晦日も大きな夢を持って過ごし、今2015年の新しい扉を開きました。


「僕たちの手で山木屋を、元の町に復興する!」

「僕は故郷へ帰る!!」


今年も彼らは、夢をあきらめないで生きる覚悟をしています。

私たちも彼らと共にあることを願い、夢をあきらめないで生きる応援をしています。