第34回全国中学生人権作文コンテスト 広島県大会 最優秀賞 | アイビーの独り言

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加藤りつこのブログ









第34回全国中学生人権作文コンテスト「広島県大会」


               最優秀賞 広島法務局長賞 

  

「寄り添いのあり方~『お母さん』の教え~」


福山市・盈進中2年(ヒューマンライツ部)国清 彩(くにきよ さや)




私は学校で、ボランティアと人権・平和の研究をするクラブに所属している。最近、私たちの部室に新しい仲間が増えた。それは、“加藤貴光さん”。

しかし、私は、実際に貴光さんにお会いしたことがない。というよりは、もう、誰もお会いすることはできないのだ。

 

私たちのクラブには、みんなが「お母さん」とお呼びする方がいる。彼女は“加藤りつこ”さん。りつこ「お母さん」と私のクラブは2012年の春、同じように、東日本大震災の被災者支援活動をしていたご縁でつながった。



「お母さん」の本当の子どもが加藤貴光さん。彼は、19年前の阪神淡路大震災で帰らぬ人となった。当時、神戸大学法学部の2年生だった貴光さんは、就寝中、自宅マンションが倒壊した圧迫の恐怖の中で息絶えた。国連職員になって世界平和に貢献するという夢は、震災で奪われた。117日の寒い日だった。



りつこさんは、助けられなかった自分を責め、貴光さんのお骨を抱いて涙が枯れるほど泣いた。床にも就かず、ご飯も食べずに。貴光さんの思い出まで枯れてしまうのが嫌で、仏花が枯れないようにと部屋には暖房も入れず、一日中仏壇の前に座り、お骨を抱いていたりつこさん。そんな姉を見て、妹さんは心配した。「このままでは病気になってしまう」



しかし、りつこさんはテコでも動かなかった。見かねた妹さんは、りつこさんの横にただただ座り続けた。あるとき、りつこさんがふと後ろを見て、居眠りをしていた妹さんの体に触れると、随分と冷たくなっていた。「このままでは、妹が病気になってしまう」と思い、りつこさんは慌てて「暖かい部屋へ行こう。お茶を飲もう」と声をかけた。



「“寄り添い”とは、その人が自ら立ち上がるまで、共にそこに・・・」。りつこさんが私たちに教えてくれた“寄り添い”のあり方。私は、自分の言動を見つめ直した。



貴光さんが「お母さん」に送った、生涯でたった一通の手紙がある。「親愛なる母上様」と題されている。レポート用紙一枚にぎっしりとつづられた母への感謝の思い。




この手紙に心を揺さぶられた奥野勝利さんは、手紙に曲をつけて、貴光さんが遺した母への思いを発信している。貴光さんの言葉一つひとつ、やさしく包み込んだこの歌が、私は大好きだ。私たちは、りつこさんの講演会のお手伝をさせていただくとき、必ずこの歌に手話をのせて歌う。りつこさんは、いつも静かに涙を流しながら優しく微笑んで喜んでくださる。私も手話をしながら、思わずもらい泣きしそうになる。




4月、クラブの先輩2人が国連に派遣された。先輩方は、貴光さんの夢を知っていたので、「お母さん」に電話して、こう告げた。


「私たちは、『お母さん』と貴光さんから、人間の本当のやさしさや目標を持つ意味を学んできました。だから、貴光さんがこの機会を与えてくださったと思っているんです。貴光さんが、私たちを国連に連れて行ってくださると思っています。お願いです。遺影をお借りできませんか」


「お母さん」は、電話口で泣かれていたそうだ。後日、りつこさんが直接、貴光さんを学校まで”連れて”来てくださった。

「今まで、”国連”という言葉を聞くたびに胸が苦しかった。貴光が、働くどころか、行くことさえできなかった国連に、あなたたちが連れて行ってくれるのね。電話をもらってから、貴光の表情も嬉しそうに見えるのよ」


りつこさんは遺影を見つめて、涙を流しながら優しく微笑み、先輩たちに遺影を託した。

今、貴光さんはいつも部屋にいらっしゃる。優しい眼差しで私たちの活動の様子を見守ってくださっている。活動中、何気なく目が合うと、自然と口元が緩んでしまう。そんな素敵な新入部員。「貴光さん、これからもよろしくお願いします!」


8月20日未明、広島市で大規模土砂災害が発生。安佐北区にお住いのりつこさんが心配だった。次の日、りつこさんの無事を聞いて安心した。数日後、学校にりつこさんから一通のメールが届いた。

「被災者の知人から、掃除用のタオルや雑巾が足りないと聞いた。力を貸してください」

すぐに生徒会と共に全校に呼びかけ、翌日から寄付を募り、2日で3000枚も集まった。段ボール詰めの一番上に、手書きメッセージを添えて発送した。「私たちはこれからもずっと、被災者の方々と共にあります」

これは、東日本大震災被災者支援を続ける私たちのクラブのスローガンだ。それが今、避難所に貼られているという。


「人は誰かの支えによって立ち上がることができる」。「お母さん」の言葉だ。


私に大きな力はないけれど、そっと人を支えることのできる人になりたい。そのために私は、いつも傷ついた人々の存在を意識し、彼らから学び、彼らにずっと寄り添うことのできるこころを育てたい。






上本訓久リサイタルで募金を呼び掛けてくれる盈進HRC生徒たち 盈進学園 延和聰・撮影






 全国中学生人権作文コンテストの広島大会で、最優秀賞(広島法務局長賞)に輝いた、盈進学園ヒューマンライツ部 中学2年生の国清彩(くにきよ さや)さんの受賞作品が、11月27日の中国新聞朝刊に全文掲載されました。




面影は幼くても・・・       (スズメ)          内藤達郎・撮影 




 





 ヒューマンライツ部と私の出会いは、2012年3月17日でした。

国清彩さんは、当時はまだ小学6年生で、盈進生ではありませんでした。

 彼女が盈進中学校に入学したのは昨年4月。

私が初めて出会った頃の彩さんは、まだまだ幼い面影の残る可愛い少女でした。


 そんな彼女が中学2年生に進級して半年後、顧問の延先生からのメールで、この作文を読ませていただきました。

 あの、可愛い彩さんが、ここまで考え、まとめてくれたことに驚嘆し、涙で文字がかすみました。





次代を生きる子ども達へ・・・  (シロバラ)    内藤達郎・撮影






 我が子を失うという、悲しく苦しい19年を生きてきた私ですが、虚空を掴む日々の中で、息子が生きられなかった次代を生きていく子ども達が、少しでも「幸せ」を感じて生きてくれますようにと願う気持ちが強くなり、そのためにも、生きていることが、どれ程幸せか。苦悩の中で見つけた喜びが、どれほど生きるバネになるか。など私の体験して学んだことをお話させていただくようになりました。


そんな私の言葉の一語一句をしっかり受け止め、熟考し、表現してくれた、中学2年生の彩さんに、「私にも生きる場所がある」ことを教えていただきました。




明日への一歩         (ジョウビタキの雌)      内藤達郎・撮影










 この喜びが、明日への一歩となり、生きる活力になるのです。

12月7日(日)広島市のクレドホールで、授賞式と朗読があるとお聞きしました。

 私は、その日は呉市で講演があり、ゆっくり聴くことはできないかもしれませんが、彩さんとお母様にお祝いと感謝の気持ちを告げに、駆けつけたいと思っています。


 彩ちゃん! 亡くなって20年を迎えようとしている貴光に、新品の翼をプレゼントしてくれてありがとう!!

 盈進学園にあと4年在学する彩ちゃんを応援させていただけることを、とても嬉しく思います。

 生きる喜びをたくさんいただきました。心から感謝しています。

ありがとう!!