肉体は滅びても魂は生き続けて ~延和聰(のぶ かずとし)先生との出会い~ | アイビーの独り言

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加藤りつこのブログ


儚くも、君の功績は永遠に             (タンポポ)              内藤達郎・撮影








加藤りつこ様

お世話になっています。
諸々、ただただ、感謝です。

荊尾遥さんのこともまた、奇遇ですね。やはり、貴光君の教えは、世界中に広がっているということですね。
彼の功績は本当に大きいし、永遠だと思います。ありがたいご縁にいつも合掌です。
いつかまたきっと、国連で貴光君と会える日が来ると思います。今度はその日を楽しみに待ちましょう。
そっちの方が、うきうきします。

貴光君のCD、本当に10回は拝聴しました。英語力も、強弱もすばらしかったです。
彼とますます、会いたくなって、酒が飲みたくなりました。(聴いているときに飲んでいました)
「To help is to be helped」
「先進国・経済大国」日本の支援が本当に「支援」となっているのか。
結果的に、相手の自立を阻害しているのではないか。
要するに、「してやっている」といった思い上がった感覚では、真の国際関係は築けないのではないか。
いかなる立場でも、人種でも、国籍でも、民族でも、平等に対等にあらねばならない、といった主張だと感じ入りました。
その通りなんですね。
優勝した理由は、英語力もさることながら、その質の高い主張が評価されたんだと思います。

部員、OGOB、沖縄尚学、長男桂史、二男総史にも配布したいと思います。
H.R.C(ヒューマンライツ部)がマルチで焼いて配布します。

(中略)



感謝です。

盈進中高 延 和聰(のぶ かずとし)






いかなる場合でも平等に対等にあらねばならぬ   (ツルバキア)      内藤達郎・撮影







今年度から、盈進中学高等学校の教頭に就かれた、ヒューマンライツ部顧問の延和聰先生からのメールに感涙しました。


この度、NPT(核拡散防止条約)再検討会議への準備委員会派遣生に選ばれた、盈進学園ヒューマンライツ部の小川千尋さん(高3)と箱田麻実さん(高3)。

4月25日から福山市での合宿に合流した、沖縄尚学地域政策研究部の與那覇麻衣さん(高3)と金城凛々華さん(高2)を訪ね、私も2泊3日の合宿に参加させていただきました。


彼女たちの英語でのプレゼンの練習や、早朝から学校へ行き、勉強会で士気を高め、出発寸前まで核問題について学ぶ姿に、私もまた老化しつつある脳を刺激され、学ぶこと、信念と使命を持って生きることの素晴らしさを教えられました。




花びらの散る寸前まで学んで生きる       (ポピー)          内藤達郎・撮影








また、彼女たちの真剣な眼差しに接していると、高校2年生で、将来国連職員として、世界平和への貢献を誓った息子の姿が昨日のことのように脳裏に浮かびました。

幸せだったあの頃にタイムスリップすることは、大きな喜びに包まれる瞬間でもありますが、その大きさと全く同じ量の哀しみと無念さに襲われます。

亡くした我が子の成長がストップしてしまった時から、親の人生は、「喜びと哀しみ」 という、両極にある感情が心の表と裏に貼り合わせとなってしまうのです。


しかし、それは哀しいことではありますが、決して 「不幸」 ではありません。

順風満帆の人生を歩んでいたら感じることも、考えることもできなかったであろう人生の機微を、日々の行間に感じることができるのですから。




喜びと哀しみが張り合わせの人生だが不幸ではない              内藤達郎・撮影    







だからこそ、息子が成し得なかった分野で一生懸命頑張る若者たちを、私のできる範囲でできることがあれば、命がけで応援したいと思えるのです。


そのような生き方しかできなくなった私の人生ですが、これもまた私というひとりの人間の個性として受け止め、生きることの意味を模索する日々です。


この度の高校生国連派遣に選ばれた、盈進学園の小川さん、箱田さん、そして、沖縄尚学の與那覇さん金城さん達が、息子の遺影と一緒に渡米してくださることになり、死後19年目にして、遺影となった息子ではありますが、念願だった国連本部へ行くことができました。

「貴光さんが付き添ってくださったら、私たちはとても心強く安心してプレゼンに臨めます」。

彼女たちの言葉に、私はふと思いつきました。

写真だけよりも声を聴けば、もっと身近に感じていただけるのではないか・・・と。




生きることの意味を模索する日々        (アオサギ)            内藤達郎・撮影







息子の生前の声が唯一遺されているCDがあることを延先生に告げると、それはありがたい。と言ってくださり、4月27日にNYへ出発する広島空港で、息子の遺影と声のCDを彼女たちに託すことになりました。


今から遡ること21年前の1993年(平成5年)11月に行われた、英語のスピーチコンテストで優勝した、大学入学して間もない息子の声が収録してあるCDです。


渡米する彼女たち用に1枚、延先生用に1枚コピーして届けました。

写真だけでは伝わらないことも、声を聴くことによって見えてくる人間として生きていた、加藤貴光という青年像を、より深く認識していただけることで、彼女たちのパワーアップにつながりますようにと願いつつ手渡しました。




遺された声が生きていた証      (フタホシクロテントウムシ)         内藤達郎・撮影







延先生からのメールは、そのCDを聴いてくださった感想です。

先生が如何に深く貴光の死を悼んでくださっているか、その死を無駄にしないで如何に生かせるか。と考えてくださっていることに感謝いたします。


息子の肉体は滅びても、魂は生かされ続けているようです。

皆さまにお礼の言葉が見つかりません。

只々・・・ありがとうございます。