この空の花 ~長岡花火物語~ | アイビーの独り言

アイビーの独り言

加藤りつこのブログ


アイビーの独り言







8月1日、2日、3日

毎年この3日間開催される 【長岡まつり大花火大会】 をテーマに実在の人物を物語の中に織り交ぜて、大林宣彦監督が制作された 映画【この空の花】 を見に行きました。

主催は、新潟県長岡市。

それを受けて、広島市が協力し、8月6日の広島原爆の日の翌日、8月7日に上映会が開催されました。(長崎でも原爆の日8月9日の翌日、10日に上映)。

しかも、上映会場は広島平和公園内にある国際会議場の 【ひまわり】(798名収容) だったのですから、とても意義深い上映会でした。


長岡の花火は全国各地の花火とは少し違います。

どこが違う?

単なる観光イベントではないから、土日を選んでの開催ではありません。



アイビーの独り言







1945年8月1日(広島に原爆が落とされる5日前の午後10時30分、米軍による長岡空襲が行われ、町は壊滅し多くの人々が亡くなりました。

翌年の1946年8月1日空襲のあった時間には、被害者慰霊と復興を祈願して花火が打ち上げられたそうです。

それから毎年、8月1日の午後10時30分には花火が打ち上げられるようになり、現在の 【長岡まつり大花火大会】 へと進化していったのです。

「復興・追悼・祈り」 の花火は、8月1日に起こった長岡空襲の時間午後10時30分に、前夜祭として 【白菊】 という花火を打ち上げられます。そして、2日、3日と花火打ち上げは続くのです。



アイビーの独り言






『この花火は映画のような花火だ。映画とは目に映るものを超えて画面には映らないものをすら感じさせる。姿や形のみならず、人の心までが見えて来る。だから泣けるのだ。この長岡花火は、単に咲いて開くばかりか、散って消えた後の暗闇に、花火の心が見える』 映画監督の大林宣彦さんが、初めて長岡花火を見られた時の感想です。




アイビーの独り言






『――世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争が無くなるのにな、とは貼絵『長岡の花火』の作者・山下清画伯の言葉です。その心根を共有するシベリヤ抑留体験者でもある長岡の伝説の花火師・嘉瀬誠次さんは、ゆっくりしんなり咲いて散る花火が、心に残って好きだと仰しゃる。
 「花火は光と音、爆弾と同じだから怖しくて嫌い」、とあの日背に負うた子を一つと半才で死なせた七里アイさんは語る。「けれど戦争を知っている私たちが死んだら誰も子どもたちにその事を伝えられぬから」、と今は戦争の語り部に。
 現在の日本は、戦争を忘れる事で平和になった。その平和は、故にどこか覚束無く、また次の戦争だって起きかねない。そんな事は、決してあってはならない。
 そこで、日本の敗戦後の復興のあり様は、果して正しかったのであろうか、という問い直しが始まりつつある。あの2011年3月11日を体験したのは、僕らの未来をより平和で幸福な国に創造するために、この課題について、皆で切実に考える時。その時、『長岡花火』に象徴される長岡市のあり様は、一つの大いなるヒントとなり得るのではないか。
 長岡市を一つの、現代のワンダーランドと捉え、この映画は始まる。どうか皆さんも一人の旅人となって、思いがけないウサギたちと出逢い、語り合いながら、この映画の中をさ迷ってみて下さい。これも映画なるものの、一つの時代を生きる有り様であるだろうから』(大林宣彦監督の言葉)


【この空の花】 は、大林宣彦監督の強い想いが其処此処に溢れている作品でした。




アイビーの独り言






阪神淡路大震災で一人息子を亡くして18年になりますが、花火を見に行くと辛かった・・・

それはイベントとしての花火大会だったからです。

でも、この映画の中で見た長岡の花火にはそれを感じられませんでした。

『私もいつか長岡の花火 【白菊】 を見たい』 

この映画を見終えて、私の中にあった花火への気持ちの在り処が変わっていきました。

すばらしい作品でした。



アイビーの独り言
ロビーで長岡の物産展があり買ったあられの箱の中から出てきた

花火玉に感動しました。